入学式祝辞
平成19年4月1日(2007年)
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
皆さんのご入学を亜細亜大学あげて心から歓迎いたします。亜細亜大学には素晴らしい伝統がありますが、その伝統は、学生諸君の努力と研鑽のたまものです。皆さんは、大学にとって大いなる希望であり、財産です。
本日、入学された亜細亜大学、亜細亜大学短期大学部、ならびに留学生別科の新入生は、合わせて1763名になります。そのうち、遠く海外から来られた留学生は13カ国・地域の119名にのぼります。また、大学院生は60名で、留学生は42名になります。このように多くの希望に満ちた新入生を全国、そして世界各国からお迎えすることができたことは、誠にうれしく、喜びに堪えません。
また、本日まで長きに亘って新入生諸君を育てられ、とくに受験にあたって、励まし、支えてこられましたご父母、ご家族の皆様にも、心からお祝い申し上げます。
本日は、多数のご父母のご出席をいただき大変嬉しく思います。ただ、残念ながら、折角お越し頂いたにも拘わらず、ご父母の皆様には、式場の都合から、3号館講堂で映像を通して式の様子をご覧頂くことになり、大変申し訳なく存じております。何卒、お許しを賜りたくお願い申し上げます。
せめてもと思い、式が始まるまで、ガムラン研究会によるインドネシア・バリ島のガムラン演奏をお聴きいただきました。本学では、学生諸君による各種のクラブ活動やサークル活動が活発に行われており、このガムラン研究会もその一例です。新入生諸君は、学業のみならず、このような各種の活動にも励み、本学で充実した2年間、ないし4年間を過ごすことになります。
さて、本日、本学に入学される皆さんの思いは、様々でしょう.大きな夢と目的を抱いて入学した人、また、学生生活への不安を抱いている人、自分の人生、将来への不安を抱いている人など、様々でしょう。しかし、皆さん。皆さんのスタートラインは同じです。本日の入学から、皆さんは気持ちを新たにし、皆さんそれぞれの可能性を信じて、自立への一歩を踏み出して欲しいと思います。
新入生の皆さんは今日から亜細亜大学または亜細亜大学短期大学部の学生です。そこで、これからの学生生活を送るにあたって、皆さんに3つほど、私の希望を申し上げたいと思います。
第一は、自分を見失わないで欲しいということです。第二には、大学で洞察力、本物を見極める目を養っていただきたいということ。そして第三に、日本の置かれている状況を把握し、そのうえで自分がどうすればよいかを考えてほしい、ということです。
まず一つ目の、自分を見失わないで欲しいということですが、皆さんは、今まで、小中高校と、標準的な道を歩まれてきたものと思います。それぞれの家庭環境は大きく異なるかもしれませんが、標準的な教科書に従って標準的な知識を身につけ、標準的な内容を問う試験で、良い成績をおさめることが、殆どの諸君にとって大きな目標であったものと思います。しかしながら、大学、そしてさらにその先にある実社会では、人それぞれ、
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そして、その人を囲む環境は大きく異なります。標準的という言葉は殆ど当てはまりません。社会は、偏差値という一種類の数値の分布を前提とするようなものではなく、多元的なもので構成されたり、そもそも比較することが意味をなさなかったりします。しかも、この多様な社会は、価値観や生き方などで、ますます多様化しつつあります。
社会に出ることは、大海に投げ出されるようなものです。しかし、大学は、実社会ほど多様ではありません。たとえば、卒業までに必要な単位を取らなければなりません。良い成績をとるというのも一つの目標には違いありません。大学生像や姿、あるいは目標は、社会人ほど多様ではありません。しかし、それでも高等学校に比べ、はるかに多くの科目が用意され、どれを選択すれば良いのか分からないかもしれません。また、一つ一つの科目については、努力して勉強すれば着実にその科目の内容が理解できますし、良い成績が得られるものと思います。学習目標にどの程度近づいたかは、比較的容易に測ることができます。しかし、大学は、個別の授業とは別に、皆さんが全人格的に成長することを支援するところです。自分を全体として見た場合、どの程度成長したかを測る明確な指標はありません。目標にどの程度近づいたかもわかりにくいと思います。焦るかもしれません。
そもそも、大学では、将来の目標も、その過程で必要な学習なども、主体的に決めなければなりません。主体的にチャレンジしなければなりません。将来の進路が企業であれ、研究者であれ、NGO 活動などであれ、その将来進路のために直接的に必要な具体的な技術や知識のみを教えることが大学の使命ではありません。将来の進路に必要なことを総合的に教えるところと言って良いでしょう。大学は、あなた方が成長するのを全面的に支援します。何を勉強すればよいかも親身になって指導します。しかし、勉強するのも、人間的に成長するのもあなた方自身なのです。
そこで第一に必要なことは、再度、あるいは早いうちから、自分の将来の目標を確認することです。そして、主体的にその目標に向かってチャレンジし、分からないことは、教員や職員に相談することです。本学の教職員は親身になって皆さんの相談に乗ってくれます。そして、良き友人を得て、話し合うのも良いと思います。是非、自分を失うことなく、はやく自立して頂きたいと思います。
次に2番目の、大学で洞察力、本物を見極める目を養っていただきたい、ということについてです。昨年12月に、すべての教育法規の基本法となる教育基本法が、約60年ぶりに改正されました。「教育の目標として、幅広い知織と教養、創造性、自律の精神や公共の精神などを養い、職業との関連を重視し、主体的に社会の形成に参画し、発展に寄与する態度を養うことなどをあげています。それらの趣旨は、本学の建学の精神「自助・協力」と全く一致します。
そして、新たに第7条として、大学に関する条項が始めて追加されました。そこでは、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」、としています。「真理の探究」と「新たな知見の創造」のためには、深い洞察力を養わなければなりません。
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ここで、深い洞察力や本物を見極める目について、一つの例をあげてみます。
経済学で見聞きする言葉に、アリゾナ効果というものがあります。アメリカのアリゾナ州のことであり、カリフォルニア州の東隣で、グランドキャニオンや砂漠などがあり、かなり乾燥した暖かい州です。しかしながら、その州では結核で死亡する数が非常に多くなっています。アメリカ北部の寒くてじめじめした州で多いはずの結核死亡者数に比べ、結核患者にとっては良い気侯の筈のアリゾナ州の結核死亡者数が多くなっているのです。その統計結果からすれば、結核死亡者は乾換した暖かい地域で多いという結論を導いてしまいそうです。もちろん、それは間違った結論です。コロンブスの卵と同様、答えを聞けばなんだという程度のことです。つまり、アリゾナという結核患者にとって気侯のよいところであるが故に、サナトリウム、結核療養所が多く存在し、北部から来た重症結核患者が多くいて、そうした人たちが死亡することも多くあります。その結果、アリゾナ州で結核死亡者数が多くなっているのです。これは、表面的な数値から、誤った結論を導いてはならないという戒めにもなっています。
さて、大学は、真理を探究する場ではありますが、逆に、職業との関わりを重視し、大学にも実学的・実践的な教育が求められています。人材に対する社会のニーズにも応えなければなりません。皆さんには、そのような教育も求められています。真理の探究のための教育と、実学的・実践的な教育は、一見矛盾するように思えるかもしれませんが、決してそうではありません。真理はつねに、現実の現象の中にあります。理論や知織を使いこなし、現実を直視し、そこから真理を探究するのです。
真理を表面的な現象が覆い隠してしまうことは多くあります。どのように表面的な現象を取り払うのか。その逆もあります。表面的な現象に対して「実はね」というような詭弁に、どうしたら騙されないようにするのか。真理の探究のためには、広い教養と深い洞察力が必要です。これらを修得するには、大学の2年間、あるいは4年間の時間では足りません。生涯にわたって自分を研鑽して行かなければなりません。しかし、これらを修得す
る姿勢は学ぶことができます。それは流行にとらわれない冷静さ、物事に正面から取り組む勇気とひたむきな姿勢などです。
そして最後の3つ目、日本の於かれている状況を把握し、その上で、自分がどうすれば良いかを考えて欲しいということについてです。現在、世界全体がグローバリゼーションの過程にあります。国境の壁は低くなり、世界中、どこにも簡単に行けます。資源や製品もますます活発に地球規模で移動しています。世界はますますひとつになっています。とは言え、実のところ国境の壁はまだかなり高く、その国境を境にして、日本のように豊かな国もあれば、はるかに貧しい国もあります。国際的に非常に大きな貧富の差が存在します。このように、一方で国際的に大きな貧富の差があり、他方でグローバリゼーションが進展している世界で、自国の都合の良いように国境の壁を高くするだけで現在の豊かさを確保することはできません。鎖国をすれば日本の安定と豊かさを維持できないことは維に
でも分かると思います。自国のご都合で、輸出だけは鎖国しない、というようなことはできません。仮に、安くて良い商品が輸入されれば、日本のその産業は廃退します。産業の発展は、安くて良い輸入製品に優る、良い製品を作る以外にありません。つまり、努力しなければ、今の日本の豊かさは維持できないのです。
これについても、ひとつのたとえ話をしてみます。
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マクドナルドの店員さんの仕事内容は、日本でもお隣の中国でも、概ね同じです。同じように頑張ってお仕事をされています。つまり、マクドナルドの店員さんのマクドナルドの会社への貢献、社会への貢献、豊かさへの貢献は、日本でも中国でも同じです。しかし、日本の店員さんは、4・5ケ月ほどの給料で安い自動車ならば買えますが、中国の店員さんは、数年分の給料をそっくり貯めないと同程度の自動車を買うことができません。それは何故でしようか。
多分、殆どの皆さんは日本の方が豊かだからと答えるでしょう。私も同様に答えます。しかし、考えていただきたい。つい今し方、私は日本と中国のマクドナルドの店員さんがそれぞれの国において、マクドナルドの会社への貢献、社会への貢献、豊かさへの貢献の度合いは同じであると言いました。それでは日本と中国との豊さの差はなぜ生じるのでしょうか。それは、長い間の努力により蓄えられた有形・無形の財産があるからです。世界的に通用する企業やそこで働く人たちが頑張っているからです。その蓄えは、皆さんではなく、ご両親やその上の世代が蓄えたものです。
そして、国際競争が激しい現在、これまでの蓄えを運用する日本の銀行は国際競争力が強くありません。何れ貯金は減るかもしれません。つまり、世界に通用する企業や人が頑張らなければ、日本は今の豊かさすら維持できません。長い目でみれば、国際的にみて生産性または、社会に対する貢献度合いが同程度であれば、世界のどの国であれ、同じだけの所得、あるいは豊かさしか望めません。個人の豊かさを維持するためには、生涯にわたって個人個人が研鑽を積んでいかなければなりません。グローバリゼーションが進行しつつある現在、国際的な競争は激化していますが、さらにこれは、個人間の競争の激化にもつながっています。結果はすべて自己責任となっています。その結果、実際に日本でも、所得格差が広がり、格差社会となりつつあります。
人間は与えられた環境の下で最適化を図っています。つまり、与えられた環境のもとで最も居心地を良くしています。したがって、環境が変化すれば、最適化された状況を余技なく変更させねばならず、環境の変化を嫌います。環境の変化が、現在の最適化された状況よりも良い状況になるとしても、それに確信が持てない限り変革を嫌う傾向があります。しかし、皆さんには失敗してもやり直しができる若さがあります。大きな未来が広がっています。積極果敢に新しい環境を創成することに挑戦してください。その先にはきっとすばらしい世界が広がります。
皆さんは、それぞれが抱負や夢を持って、亜細亜大学に入学されました。亜細亜大学には、どの学部に入学されようと、いくつもの教育プログラムが用意されています。また、各種の資格取得を念頭に置いたキャリア・アップのための講座も数多く用意しています。図書館には60万冊の蔵書がありますし、パソコンなども準備してあり自由に使える体制が整っています。本学にあるあらゆる教育資源、教職員、施設・設備、それに留学制度などを十分に活用して、それぞれの夢の実現に向かって突き進んでください。本学は、常に、全面的に諸君を応援いたします。
では、皆さんのこれからの2年間、あるいは4 年間が、中身が濃く、悔いのない充実した日々であることを願って、お祝いの言葉といたします。