平成21年度入学式祝辞

入学式祝辞

平成21年4月1日(2009年)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。亜細亜大学は皆さんのご入学を心から歓迎いたします。
 本日、入学された亜細亜大学、亜細亜大学短期大学部、ならびに留学生別科の新入生は、合わせて1,897名になります。そのうち、海外からの留学生は15カ国・地域の172名にのぼります。また、大学院生は71名で、うち留学生は53名となります。このように多くの希望に満ちた新入生を全国、そして世界各国からお迎えすることができたことは、誠にうれしく、喜びに堪えません。
 また、本日まで長きに亘って新入生諸君を育てられ、ときに励まし、ときに支えてこられましたご両親やご家族の皆様にも、心からお祝いを申し上げます。本日は、多数のご父母のご出席をいただき大変嬉しく思います。しかし、残念ながら、折角お越し頂いたにも拘わらず、ご父母の皆様には、式場の都合から、3号館講堂で映像を通して式の様子をご覧頂くことになり、大変申し訳なく存じます。何卒、お許しを賜りたくお願い申し上げます。
 さて、新入生の皆さんは今日から亜細亜大学または亜細亜大学短期大学部の学生です。そこで、これからの学生生活を送るにあたって、皆さんに3つほど、私の希望を申し上げたいと思います。

 第1は、これから皆さんは、この武蔵野の地で、人生で最も大事な青春の4年間ないし2年間、あるいはそれぞれ必要な期間を過ごすことになります。とくに、海外からの留学生の諸君、あるいは故郷を遠く離れてきた諸君は、何かと不慣れで多くの不安を抱えていることと思います。なるべく早く、亜細亜大学を知り、良き友人を作り、学園生活を有意義に送っていただきたい。
 これから皆さんは、本学で、自分はどうしたいのか、何を学ぶべきかを考え、そして自分探しをしていかなければなりません。これらを1人で考え、選択していくのは大変難しいと思います。教員や職員はいつでも相談に乗ります。気楽に何でも相談して欲しいと思いますが、皆さんが深く相談するほど、教職員もより深く相談に乗ることができます。
 先輩に頼るのも良いでしょう。大学では多くのことを経験しますので、数年上の先輩でも随分と成長しています。後輩からの相談は、先輩としてむしろ嬉しいものです。クラブやサークル、あるいはゼミなど、先輩と接する機会は多くあります。是非、積極的にいろいろな活動に参加して欲しいと思います。
 そして、同期生の友人は最も大切です。同期生の友人は接する機会が最も多く、同じ世代として同じ悩みを抱えていることも多々あります。もちろん、1人1人、そのバックグラウンドが違いますので、同じものを思いもしなかった角度から見ることもあるでしょう。見方が違うことは大いに参考になりますが、その友人と語り合うことにこそ、さらに重要な意味があります。心を開いて率直に語り合うことのできる友人がいて初めて、お互いに、てらうことなく学ぶことができます。ましてや、共に学び、同じ経験を共有し、協力して何事かを成し遂げたことによる達成感や充実感は何物にも代え難く、協力の精神の素晴らしさを確信するに違いありません。
 亜細亜大学には素晴らしい伝統や歴史がありますが、その伝統や歴史は今までの学生諸君の努力と研鑽のたまものです。この伝統や歴史の上に、皆さん自身が新たな伝統や歴史を築いていくことになります。皆さんの先輩達が築き上げた本学の輝ける歴史については、後ほど皆さんにお配りいたしますが、毎年発行している『亜細亜の夢』にその概略が紹介されています。早い時期に一読されることを望みます。

ページトップへ

入学式祝辞(2ページ)

 皆さんのこれからの生涯の中には、間違いなく亜細亜大学、そして本学で培われた友人や友情は何度も登場するでしょう。亜細亜大学の建学の精神、歴史や文化は、学生、卒業生、そして教員・職員の全員が共有しているものです。
 本学の歴史の一端を紹介しますが、50年以上も前の1954年1月、まだ、日本が戦後で貧しく、精神的にもうちひしがれていた時期に、本学は100人近くの中国からの留学生を受け入れました。もちろん、これほどの規模の留学生を一度に受け入れたのは戦後日本で本学が初めてのことであり、当時の新聞を見ても文部省の狼狽ぶりを覗い知ることができます。
 実は、この出来事は、現在、亜細亜大学短期大学部となっていますが、日本経済短期大学の時代であり、留学生を受け入れた年の5月に亜細亜大学設置が決まり、翌年3月に亜細亜大学が設立されました。日本及び亜細亜の文化社会の研究と建設的実践に重点を置き、亜細亜融合に新機軸を打ち出す人材の育成を目指して設立された亜細亜大学には、まさしく、このような実践が先行していたとも言えますし、亜細亜大学の名称の由来も、この100人もの留学生を一度に受け入れた精神にあります。
 このときの中国からの留学生は、その後、それぞれの夢を抱いて世界中に散りました。2年ほど前に(2006年11月)に、その時期の留学生が50年ぶりに集う同窓会を香港で開催しましたが、日本ばかりでなく、多くがアメリカ、オーストラリア、ドイツ、カナダ、その他の国で活躍されていました。卒業後50年以上たっても、世界中から集まった皆さんは、つい先日も会っていたかのように、青春時代の友人であり続けていました。それぞれの夢がかなったものと思います。

 第2に、将来の進路を早いうちに再度、考えておいて下さい。本日、入学された多くの皆さんは、多かれ少なかれ、これからの学生生活や自分の人生、将来への不安を抱いているものと思います。
 大きな夢や目標をお持ちの方もいるでしょう。その目標に向かって引き続き努力すれば、十分に夢や目標が近づいてきます。他方、近年、無目的に入学してくる諸君の比率が高まってきているのも事実です。今日の時点ではそれも良しと思います。選択肢が大きく広がっているからです。しかしながら、無意味に自分探しの旅を2年間ないし4年間続けても、依然として、どの目標にも近づいておらず、年齢分だけ、すなわち残された時間が少なくなる分だけ、選択肢が狭まります。
 今日、皆さんのスタートラインは同じです。本日の入学から、皆さんは気持を新たにし、大きな可能性を信じて、それぞれの一歩を踏み出して下さい。目標の達成は、あるいはもっと長く人生は、小さな目標の連鎖でなりたっています。1つの目標にたどり着いても、その先の選択肢は大きく広がり、次の目標は決して近くないかもしれません。しかし、これを繰り返すことで、後ろを振り返ると、自分は随分と進んできたことがわかるでしょう。
 ノーベル文学賞受賞者のアメリカの作家ジョン・スタインベックは、「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」と言っています。 もっとも、スタインベック自身は、晩年近くになって、ザ・パリ・レビューという雑誌のインタビューに答えて、自分が実際に言ったのは、「蝶がいたからこそ、少年はそれを追っていつのまにか山頂に登った」だったか、「山があったからこそ、少年は蝶を追い求めているうちにいつのまにか山頂に登った」だったかのいずれかであったと述べています。
 さて、蝶を追う少年と、蝶という追い求める目標と、山があったという環境の、どれが少年を天才にしたのでしょうか。追い求めるべき蝶も、高いところに登るべき山も、本学には用意されています。皆さんには、是非、蝶を追う少年・少女になって欲しいと思います。
 どの蝶を追えばよいか。大学には多くのものが用意されており、何を選択すればよいのか、わからないことも沢山あるに違いありません。そのときは、教員や職員に相談したり、先輩や友人と語り合ってください。きっと、いま何をすべきかのヒントが得られるはずです。
 どの蝶を追うのか、選択するのは、あなた自身です。早く自立し、自分の将来進路を早いうちから考えておいてください。

ページトップへ

入学式祝辞(3ページ)

 第3に、亜細亜大学は、その名称からもお分かりでしょうが、国際教育に力を入れています。皆さんには是非、国際的な視野を持って欲しいと思います。これからの時代、国際的な視野あるいは世界観を持つことは、仕事上であれ、生活の場であれ必須といえます。そして、より充実した人生をおくることができるでしょう。
 日本には、まだその姿が断片的に見え隠れする古(いにしえ)の時代から、中国との交流がありました。最近、「レッドクリフ」という『三国志』の一部が映画化されましたが、普通、『三国志』と言えば、史実やその他の伝承を材料に、それよりも千年以上も後に創作された『三国志演義』のことを指し、そこでは劉備や曹操、諸葛孔明や関羽などの人物が、息づかいを感じられるほどリアルに描かれています。
 その資料的な裏付けをしているのが、歴史的事実をほぼ同時代的に記した正史、すなわち中国が公式に歴史書として認めた『三国志』です。創作された『三国志演義』と歴史書の正史『三国志』とは全く別物です。歴史書の正史『三国志』の中の魏書東夷伝には、いわゆる魏志倭人伝として、邪馬台国、そして卑弥呼を親魏倭王、つまり魏と友好的な倭の王とし、金印紫綬を与える話が出てきます。日本について言及したものは更に遡りますが、この正史『三国志』は当時知りうる限りの世界の状況も紹介しています。日本の最も古い歴史書の『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)ですら、三国志の時代から500 年近くも後に編纂されました。このように、いにしえの日本は、それを記述したいくつもの外国の史料によって明らかにされてい
ます。
 『日本書紀』の編纂が完了した頃、奈良時代の717年、阿倍仲麻呂と吉備真備は、諸君とほぼ同じ年齢、若干19歳と22歳で当時としては遙か異境の地、中国唐の都、長安に留学しています。阿倍仲麻呂は唐の朝廷で大いに活躍し、生涯を中国でおくりました。吉備真備も永らく中国で暮らした後帰国し、右大臣にまでなりましたが、この2人は真備57歳、仲麻呂54歳に唐で再会しています。いにしえの時代ですら、このようなスケールの大きな生き方をした人々がいました。
 外国に行って初めて日本が分かることが多々あります。また、日本は常に海外から知識を吸収してきましたし、何度も黒船来航のような開国を経験してきました。そのたびに日本人は大きく世界観を広げてきました。現在の日本は、いわばバブル期の反動としていまだに内向き志向にありますが、今、国内で、室町文化や元禄文化に匹敵する世界に誇れる文化が生まれているのでしょうか。
 今度の黒船はグローバリゼーションという新しい形なのかもしれません。これからの日本人には、将来、たとえ日本にとどまろうと、国際的に通用するだけの能力が求められています。学力や語学力も大事ですが、個人としての総合的な能力や魅力をつけねばなりません。

 大学は、皆さんが総合的に成長していく場です。亜細亜大学の4年間、短期大学部の2年間は、決して短くはない期間です。よく語り合って各自の夢を育み、努力すればその夢が叶う期間です。皆さんが、大いに学び、大いに学園生活を謳歌することを願って、私のお祝いの言葉とさせていただきます。