2010.5.25

「高等教育は国家の大計」

<2010年5月25日号>

 昨年9月の新政権誕生が、未だに高等教育にどう影響するのかはっきりしない。政治状況が流動的であり、なおさら、先行きがわからない。もちろん、少子化やグローバリゼーションなどの高等教育への影響、ならびにそのためにしなければならないことは比較的はっきりしているのだが、政府の研究支援や教育支援の重点の置き所や制度設計は違ってくる。

 新政権の打ち出した「新成長戦略」の具体的内容は6月末でないと分からないのだが、基本的に拡大的財政依存政策も市場主義や競争政策も否定し、3つの領域を成長の梃子とする。健康についてはライフ・イノベーション、環境についてはグリーン・イノベーション、観光については観光立国を推進し、少子化・高齢化時代の地域活性化を図るというものである。ひょっとすると成長指標ばかりでなく幸福度の指標が重視されるのかもしれない。

 グローバリゼーションの中で日本は豊かさを達成したし、逆に国際大競争という厳しさも経験しつつある。競争は海外からも仕掛けられる。グローバリゼーションの中で、東海の孤島、黄金郷ジパングとして閉じ籠るわけにはいかない。現状の豊かさを前提として、豊かさの内容をより生活に即したものに変えていくと言う場合の、現状の豊かさという前提は成り立たないかもしれない。

 20年以上も前になろうか、授業中の脱線話として、こんな事を言った記憶があるので今更ながら驚いている。かつて世界を席巻した大国は、自由などの正義をかざし、政治・軍事的に押しつけもしたが、その正義は他国にとってもそれなりに納得のゆく部分もあった。日本が健康と環境を正義とし、これに関する基幹技術を開発し続け、世界中で共有できれば、新しいイデオロギーに基づき平和裏にパクス・ジャポニカが達成できるかもしれない、というものである。これほど大胆でなくても、健康と環境に関する基幹的技術イノベーションに成功すれば、経済的にも先ほど述べた、現状の豊かさという前提も達成される。

 それとも、より生活に即した豊かさは全く異なる価値観に基づくものかもしれない。それもまたひとつの選択である。

 いずれにせよ、高等教育は国家の大計に関わるものである。来るべき日本を生きる若者のためにも、我ら教職員はぶれてはならない。