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わたしと亜細亜大学(歴代学長)

色あせることのない思い出と共に積み上げられた、亜細亜大学80年の歴史。
「わたしと亜細亜大学」では、歴代学長や卒業生が亜細亜大学での思い出深い場所や出来事などについて語ります。

大島 正克からのメッセージ

トップマネジメント特別講義が繋ぐバトン

わたしにとって思い出深い科目といえば、「トップマネジメント特別講義」です。この科目はビジネスの最前線で活躍する著名人を講師として招き、実践型の経営論を紹介する公開講座です。1989年度からスタートし、経営学部の諸先生方が交代で担当するもので、本年で33年目になります。これまでご講義いただいた企業のトップの数は300名以上に及びます。

そしてできるだけ本学出身、すなわち学生にとっては先輩にあたるトップの方々にもご講義をお願いしてきました。本年(2021年)12月23日の本講義の講師として、(株)オーミックの取締役会長の金光秀一氏が登壇します。わたしのゼミ一期生です。1999年に仲間と3名で起業し、今や60名の従業員を擁する企業に成長しています。最近、(株)オーミックに就職したゼミ生もいます。

経営学部のカリキュラムには起業知識を学べる科目も用意しています。今後、本学からさらに多くの起業家が生まれ、この「トップマネジメント特別講義」の講師として登壇して頂きたいと祈念しています。亜大生の可能性は無限だと身をもって実感しています。創立80周年、おめでとうございます!

プロフィール

大島 正克(おおしま まさかつ)
  • 第11代学長(2018年~2021年)
  • 1981年、亜細亜大学経営学部助手として着任。1993年に同学部教授となり、第11代学長を務める。2019年より亜細亜大学名誉教授。

栗田 充治からのメッセージ

台湾921地震救援活動

1999年9月21日の台湾中部大地震の時、台湾には亜大卒業生が1,000人以上いました。国際交流部(現:国際連携部)が彼らの安否確認をする中で、在学生から台湾へ救援に行きたいという声が上がったことを伝えると、受け入れられるという返事が、当時国民党地方幹部を兼務していた卒業生の徐銀樹氏から届きました。まずは職員有志5名が有給休暇を取って台湾に自費で入り、現地状況と安全確保方策を調査しました。

当時学生委員長であった私は、学長だった服部先生と相談し、亜大として救援隊を派遣すべく動き、学内会議でその承認を得ました。
早速、隊員募集を行うため説明会を開くと、1回目の参加者はわずか十数名。正直なところ焦りましたが、2回目は数十名、3回目は百数十名と増えていきました。

最終的には学生・教職員135名を3グループに分けて1週間毎に派遣しました。大学として救援ボランティアの海外派遣は初めてで、募金など資金集め、受付、用具購入、大学プレートの縫い付けなど、学生・教職員・その家族を巻き込んだ救援活動は、亜大の「ボランティア元年」と呼ぶに相応しい快挙でありました。

プロフィール

栗田 充治(くりた みちはる)
  • 第10代学長(2015年~2018年)
  • 1982年、亜細亜大学教養学部講師として着任。1990年に同学部教授、2001年に国際関係学部教授となり、第10代学長を務める。2018年より亜細亜大学名誉教授。

小川 春男からのメッセージ

研究室とゼミ生

教鞭を執っていた頃で最初に思い出すのは、やはり長く深く接したゼミ生のことです。国際関係学部は4年を通してゼミナールが必修で、3・4年生に関しては2年間同じ学生を指導することになります。そのため、中には1年から4年まで指導した主のようなゼミ生や、5年目に大きな顔でゼミを仕切る強者もいました。午後の最初の授業がゼミの時は、ゼミ生たちが昼食時から研究室に集まり、時間になると自発的にレジメを配って授業を始めていました。それなりのけじめはあったようで、内心よしよしと思っていました。必修だった卒論作成では、夜討ち朝駆けで正月まで指導することに。無事に卒業してホッとしたのも束の間、いなくなれば穴が空いたような。そんな思い出の研究室です。

国際関係学部では、ゼミ運営委員会で学生の指導上の情報をきめ細かく交換・共有し、教員全員で学生を育てています。卒論テーマによっては、他ゼミからの他流試合の学生も引き受けました。もっとも、学生同士の情報交換も密だったようで、他ゼミの学生が私のゼミコンパに参加していることもありました。研究室はゼミ生の熱気で溢れていましたが、きっと若者の活気や情熱、夢や抱負で満ちていたからに違いありません。

プロフィール

小川 春男(おがわ はるお)
  • 第8代学長(2006年~2012年)
  • 1976年、亜細亜大学経済学部講師として着任。1987年に同学部教授、1991年に国際関係学部教授となり、第8代学長を務める。2018年より亜細亜大学名誉教授。

池島政広からのメッセージ

地域に愛されアジア・グローバルに輝く大学へ

80年という長い歴史の中の一時期、教職員と夢中になって亜細亜大学の未来を語り合えたのは幸せでした。2003年に学長に就任して、早速、地域社会に愛される大学を目指して、元気な学生と一緒に商店街の活性化など地域振興の課題に取り組みました。その後、市民参加型「まちづくり未来塾」科目を創り、それが継続していることに嬉しさを感じます。

また、本学のミッションに基づき、「アジア・国際経営戦略研究科」を創り、アジアビジネスを担える人材の育成に関われたことは感無量です。国際ビジネスの中心である上海での現地研修の実現化に向けた、経営者とのネットワークづくりの日々を思い出します。東京、そして上海など活力あるアジアの大都市をみて、2期目の学長の際に、生活者の真の豊かさに視点を当て創設した「都市創造学部」がどうなるか見守っています。アジアと欧米との架け橋になるべく、100周年に向け、教育・研究面での一層の充実を期待しています。

プロフィール

池島 政広(いけじま まさひろ)
  • 第7代学長(2003年~2006年)、第9代学長(2012年~2015年)
  • 1973年、亜細亜大学経営学部助手として着任。1985年に同学部教授となり、第7代学長、第9代学長を務める。2018年より亜細亜大学名誉教授。

鯉渕信一からのメッセージ

大学で結んだ「モンゴル」との縁

初めて亜細亜大学の門をくぐったのは1963年4月、そこでモンゴル語を選択したことが私の人生を決定づけました。当時、大学はコンクリート3階建て1棟と平屋の木造教室が2,3棟あるだけの何とも質素なキャンパスでした。しかし実にユニークな学生が集まっていました。容易に海外に行ける時代ではありませんでしたが、海外を目指す学生で満ちていたのです。そんな雰囲気の中で私はモンゴルという世界の面白さにのめり込み、現地での暮らしを夢見たのです。モンゴルなど見向きもされない時代でした。

それから10年後、モンゴルで暮らすという夢は在モンゴル日本大使館に勤務することで叶えることができました。そして3年後に帰国してアジア研究所に勤務し、退職までモンゴル語の教鞭を執りました。学生には「夢」の大切さを語り続け、学長時代も「夢」にこだわり、「アジア夢カレッジ」を立ち上げました。
もし亜細亜大学でモンゴル語を選択していなかったら?と自問しつつ、その縁に感謝するこの頃です。

プロフィール

鯉渕 信一(こいぶち しんいち)
  • 第6代学長(2000年~2003年)
  • 1976年、亜細亜大学アジア研究所講師として着任。1989年に同研究所教授、1992年に国際関係学部教授となり、第6代学長を務める。2010年より亜細亜大学名誉教授。