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わたしと亜細亜大学(卒業生)

色あせることのない思い出と共に積み上げられた、亜細亜大学80年の歴史。
「わたしと亜細亜大学」では、歴代学長や卒業生が亜細亜大学での思い出深い場所や出来事などについて語ります。

駒村 多恵からのメッセージ

「進むべき道に気づいた場所」

私の人生は亜大在学時に大きく動き出しました。
AUAP(※1)から戻り、平穏に過ごしていたある日。「野球部の祝賀会の司会をしてみないか」と職員の方が声をかけて下さったのです。「祝賀会が開催されるなら司会は学生から」という服部学長(当時)の希望があったことからたまたま巡ってきたお話でした。人生初司会。右往左往しながらも懸命に務めたところ、「今度、吹奏楽団の演奏会でどう?」「別れの広場(※2)で…」と居合わせた方から数珠つなぎに学内行事の司会の機会を頂きました。当時の私は周りの就職活動をよそに進路に迷っていた頃。次第に自分の進むべき道はこれなのではないか?と導かれたような気がして、遂に進路をフリーキャスターに定めたのです。
在学中に得た経験や学びは社会に出てから生かされることが本当に多いと実感していますが、カリキュラムだけでなく、多様な出会いにも感謝しています。

  1. 亜細亜大学アメリカプログラム(Asia University America Program)。
    1988年にスタートした本学の伝統と実績のあるアメリカ留学プログラム。「生きた英語の習得」と「異文化理解」、そして「自己の新発見」を主目的とした独自の留学制度で、キャリア開発にも力を入れている。これまでに14,000人以上の学生が参加。
  2. 卒業祝賀会のこと。

プロフィール

駒村多恵(こまむら たえ)
フリーキャスター。
1993年、亜細亜大学国際関係学部に入学。
1997年卒業後、フリーリポーター、フリーキャスターとして各種テレビ番組、ラジオ番組に出演。様々なジャンルで活躍する一方、介護福祉士、介護食士3級の資格を持つ。

野口 健からのメッセージ

衞藤学長との約束

僕は1992年、国際関係学部に入学。一芸一能入試(※1)で「7大陸最高峰に登ります」と宣言し合格。その直後、学長室に呼び出されドキドキしながらノックしたら「入りたまえ」と。人生で始めて「たまえ」と言われた。主は衞藤瀋吉学長(※2)。「君は世界を相手に挑戦するんだな。一つ約束をしろ。山に登ったら、降りてこなければならないように大学に入ったら卒業することだ」と先制パンチ。圧倒され反射的に「約束致します!」。その2年後、南極大陸最高峰への挑戦を目前に資金調達に苦戦していた。直前になり200万円が足りず諦めかけていたら学長室に呼び出された。相変わらず仏頂面の衞藤学長がテーブルに封筒をポンッと置いた。何だろうと開けてみたら200万円。「いいから黙って持って行け!」と。一ヶ月後、登頂を果たし南極から連絡をいれたら「俺のポケットマニーが無駄にはならなかった」と喜んで下さった。亜細亜大学に訪れる度に衞藤学長の「たまえ」が聞こえてくる。

  1. 一芸一能入試
    衞藤学長(当時)により取り入れられた入試形態の一つ。
    この入試では「(芸術・芸能、競技、学術・学芸など)一つの資格・技能の獲得または社会的活動に向けた明確な目的意識を持って高校生活等を送ってきた、旺盛なチャレンジ精神を有する者」を求める学生像として挙げている。
  2. 衞藤瀋吉(えとう しんきち、1923年11月16日~2007年12月12日) 1987年~1995年まで、第4代学長を務めた。

プロフィール

野口 健(のぐち けん)
アルピニスト。
1992年、一芸一能入試で亜細亜大学に入学。
1999年、エベレストの登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。
2000年からはエベレストや富士山での清掃登山を開始。ヒマラヤ遠征中にネパール大震災に遭遇し、「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、ネパールの村々の支援活動を行う。熊本地震においては、避難所としてのテント支援を行い、テント村の設置、運営などもおこなった。