2016.03.30
【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方
国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。
2016.03.27
【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方
国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。
明・清朝皇帝の墓は最初、2000年に世界遺産に登録されました。2003年、2004年に範囲が拡張されました。
遼寧省の清昭陵はホンタイジの墓で、北陵とも呼ばれます。清朝皇帝陵は、河北省の清東陵・清西陵などもあります。
南京の紫禁山の明孝陵は洪武帝と后妃の墓です。地下宮殿はまだ発掘されていません。
明孝陵のコケです。
紫禁山には中山陵(孫文の墓)があります。世界遺産ではありません。
392段の階段を上ったところに孫文の墓があります。墓の完成までに3年かかったとされます。
2016.03.25
【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方
国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。
2016.03.23
【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方
国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。
アンボワーズ城はロワール溪谷にあるフランス・ルネサンス様式の初期の城です。1494年、フランス王シャルル8世は3万の兵を率いてイタリアへ遠征しました。イタリア遠征により、フランスにイタリア・ルネサンス芸術が伝わりました。
敷地内のサン・テュベール礼拝堂には1519年、この地で死去したダ・ヴィンチの墓があります。ダ・ヴィンチは64歳のときにアンボワーズへやってきました。
2016.03.21
【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方
国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。
シャンボール城は1981年に世界遺産に登録されました。その後、2000年に「ロワール溪谷」として範囲を拡大しました。16世紀初頭、フランソワ1世がシャンボール城を建てさせました。
城内部の二重螺旋階段はダ・ヴィンチが設計したとされます。フランスの城の多くはフランス革命時に略奪・破壊の被害にあいました。修復された城もありますが、シャンボール城のように何もないまま現在に至るものも少なくありません。
2016.03.20
多文化ミュージアム...その後
先月、武蔵野プレイスにて開催した「多文化ミュージアム」で使用したパネルや展示物を亜細亜大学の5号館と2号館で一部みることができます。
5号館と3号館を結ぶ渡り廊下
多文化ミュージアムで使用したパネルを展示
リニューアルした2号館1階ラウンジ
ラウンジの一角に展示物などがあります
2016.03.18
【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方
国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。
2016.03.16
祝卒業:学位記授与
3月15日に平成27年度卒業式がおこなわれ、学部ごとに学位記が授与されました。学部長のお話に続いて、一人ひとりに学位記が授与されました。
学部長の話。社会人として旅立つ卒業生に対して、世界経済の置かれた現状をお話しいただきました。
学位記は、ゼミナールを担当した教員から一人ひとりに手渡されます。
2016.03.14
【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方
国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。
ベルサイユ宮殿と庭園は1979年に世界遺産に登録されました。幾何学模様の庭園はアンドレ・ル・ノートルによって設計されました。
ベルサイユのコケです。
マリー・アントワネットはベルサイユにある離宮プチ・トリアノンをルイ16世から与えられ、親しい友人のみをここに招きました。
マリー・アントワネットは庭をイギリス式庭園に作りかえ、農家を建てて実際に農民を住まわせました。現代風にいえば、農村テーマパークです。
2016.03.01
【シリーズ】グローバルに羽ばたく国関生
亜細亜大学の留学制度(AUEP)などを利用し、長期海外留学をしている国際関係学部の在学生を紹介してゆくシリーズです。今回は、国際関係学部多文化コミュニケーション学科4年齋藤玲菜さん(慶煕大学に留学中)を紹介します。