亜細亜大学国際関係学部亜細亜大学国際関係学部

【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方

国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。

グラバー邸は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つです。スコットランド人のグラバーは幕末に来日し、茶の輸出で成功しました。その後、薩摩藩・長州藩のために武器を調達しました。

グラバー園のコケです。グラバー邸の周辺に洋館が集められ、グラバー園になりました。

リンガーはグラバー商会に務めていましたが、後に独立してホーム・リンガー商会を設立しました。グラバー邸と同じ、小山秀之進の施工とされます。

グラバー園の近くに大浦天主堂があります。世界遺産暫定リストに記載されています。長崎ちゃんぽんのリンガーハットは、グラバ―邸・リンガー邸の屋根と大浦天主堂の塔をモデルにしています。

【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方

国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。

明・清朝皇帝の墓は最初、2000年に世界遺産に登録されました。2003年、2004年に範囲が拡張されました。

遼寧省の清昭陵はホンタイジの墓で、北陵とも呼ばれます。清朝皇帝陵は、河北省の清東陵・清西陵などもあります。

南京の紫禁山の明孝陵は洪武帝と后妃の墓です。地下宮殿はまだ発掘されていません。

明孝陵のコケです。

紫禁山には中山陵(孫文の墓)があります。世界遺産ではありません。

392段の階段を上ったところに孫文の墓があります。墓の完成までに3年かかったとされます。

【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方

国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。

アヴィニョンの歴史地区は1995年に世界遺産に登録されました。1309年から1377年までアヴィニョンに教皇庁が置かれました。

民謡「橋の上で踊るよ踊る~」で有名なサン・ベネゼ橋です。ローヌ川に架かる橋はかつて920メートルあったそうですが、現在は一部が残るだけです。橋の上はそれほど広くないので、民謡のようにみんなで踊っていたのは橋の下だそうです。

アヴィニョンのコケです。

【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方

国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。

アンボワーズ城はロワール溪谷にあるフランス・ルネサンス様式の初期の城です。1494年、フランス王シャルル8世は3万の兵を率いてイタリアへ遠征しました。イタリア遠征により、フランスにイタリア・ルネサンス芸術が伝わりました。

敷地内のサン・テュベール礼拝堂には1519年、この地で死去したダ・ヴィンチの墓があります。ダ・ヴィンチは64歳のときにアンボワーズへやってきました。

アンボワーズ城のコケです。

【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方

国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。

シャンボール城は1981年に世界遺産に登録されました。その後、2000年に「ロワール溪谷」として範囲を拡大しました。16世紀初頭、フランソワ1世がシャンボール城を建てさせました。

城内部の二重螺旋階段はダ・ヴィンチが設計したとされます。フランスの城の多くはフランス革命時に略奪・破壊の被害にあいました。修復された城もありますが、シャンボール城のように何もないまま現在に至るものも少なくありません。

シャンボール城のコケです。

多文化ミュージアム...その後

先月、武蔵野プレイスにて開催した「多文化ミュージアム」で使用したパネルや展示物を亜細亜大学の5号館と2号館で一部みることができます。

5号館と3号館を結ぶ渡り廊下

多文化ミュージアムで使用したパネルを展示

リニューアルした2号館1階ラウンジ

ラウンジの一角に展示物などがあります

【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方

国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。

フォンテーヌブロー宮殿と庭園は1981年に世界遺産に登録されました。写真の馬蹄形の階段は、「別れの中庭」と呼ばれます。ナポレオンが失脚してエルバ島に流される前、ここで近衛兵らに別れの挨拶をしました。

フォンテーヌブローのコケです。
 

祝卒業:学位記授与

3月15日に平成27年度卒業式がおこなわれ、学部ごとに学位記が授与されました。学部長のお話に続いて、一人ひとりに学位記が授与されました。

学部長の話。社会人として旅立つ卒業生に対して、世界経済の置かれた現状をお話しいただきました。

学位記は、ゼミナールを担当した教員から一人ひとりに手渡されます。

学習成果記録帳には、卒業の印と日付が押されました。

【シリーズ】亜細亜的アジアの歩き方

国際関係学部の教員の秘蔵?写真を紹介するシリーズです。研究者ならでは視点からの写真を掲載します(サブシリーズ「世界遺産コケ紀行」)。

ベルサイユ宮殿と庭園は1979年に世界遺産に登録されました。幾何学模様の庭園はアンドレ・ル・ノートルによって設計されました。

ベルサイユのコケです。

マリー・アントワネットはベルサイユにある離宮プチ・トリアノンをルイ16世から与えられ、親しい友人のみをここに招きました。

マリー・アントワネットは庭をイギリス式庭園に作りかえ、農家を建てて実際に農民を住まわせました。現代風にいえば、農村テーマパークです。

プチ・トリアノンのコケです。

【シリーズ】グローバルに羽ばたく国関生

亜細亜大学の留学制度(AUEP)などを利用し、長期海外留学をしている国際関係学部の在学生を紹介してゆくシリーズです。今回は、国際関係学部多文化コミュニケーション学科4年齋藤玲菜さん(慶煕大学に留学中)を紹介します。

これは、少し分かりづらいですが、宿舎の部屋の机です。十分な広さがあり、使い勝手が良いです。リラックスできるように机の周りは、自分の好きな物を置いていました。自習室もあるのですが、私は全ての勉強を部屋でしていました。

これは、5月の学園祭のときの写真です。韓国の学園祭は、日本と比べて、より賑やかな雰囲気でした。学校の生徒による発表や、イベントなどもあり、学生同士で楽しんでいることを感じられました。また、期末試験の数週間前であったので、勉強のストレスを発散することができました。

これは、授業に行くときに通っていた道です。坂の傾斜がきつく、大変ですが、春になると写真のようなきれいな風景を見ることができます。慶煕大学では、キャンパス内のあちこちに桜が咲いていて、外国の方が写真を撮りにきたりもします。本館の前では、外で学生達がお花見を楽しむ場所にもなります。

これは、私がマネージャーをしていたバスケットボールチームの方々との写真です。この活動が、私の留学生活の中で一番記憶に残る思い出です。友達もたくさんできました。韓国語にたくさん触れることにより、韓国語能力試験6級合格につながるきっかけになったと思います。

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