戻る外国における”日本”との出会い

ベトナム南部の農村でインタビュー調査をしていた際、ある年配の人が「かつて日本兵が来た」と話してくれた。その語り口からは、日本軍の侵略という否定的な意味以上に一つの歴史的事実、さらには遠路日本から来た人間に対して、この地にも「日本とのつながり」が存在したというニュアンスを伝えようという思いが感じとれた。確かに帝国日本の南部仏印進駐という歴史は知っていた。しかし、当時の筆者には、その知識とベトナムの地に住む人びとのライフヒストリーとを具体的に結びつけ、同時代史的に捉える想像力が欠けていた。ベトナムにおける日本侵略史のもう一つの記憶を感じた瞬間であった。

 

似たような体験は、別の機会にもあった。ベトナム滞在中に、よく自転車を利用していた。ベトナムで自転車に乗ると、必然的に二輪車のパンク修理を主な生業とする人と親しくなる(自転車の修理は、露店で行われることが多い)。きっかけは忘れたが、そうした修理屋の人と酒を酌み交わす機会があった。その際に、第二次世界大戦の話題となり、筆者が日本のベトナム侵略について触れると、相手は何気なくこう答えた。「確かに日本軍は侵略してきた。しかしそれはおまえではないだろう」。その行間には「だからおまえは気にすることはない」という解釈が成り立ちうる会話であった。想定外の返答、かつ”日本”と個人(日本人である筆者)の関係についての現状認識であった。

 

また、台北で台湾総督府を訪問した際にお世話になった、かつて植民地時代に日本語教育を受けた世代のボランティアガイドの人の話も印象深い。日本人以上に流ちょうな日本語を話すその人は、ガイドをする中で、自分のライフヒストリーも語ってくれた。曰く「日本政府は好きではない、なぜなら私を捨てたから。でも日本人は好きだ。だからこの仕事(公共施設等での日本語ボランティアガイド)をしている」。ここにも、日本の植民地支配から戦後の戒厳令下の台湾を生きてきた人びとが捉える”日本”観が存在していた。自らの想像を超越した一言であった。

 

以上はあくまで個人的な体験であり、当然のことながら一般化することは不可能である。しかし、海外でのさまざまな出会いの場を通じて、日本を相対化しつつ自己形成をしてゆくこと、そうした経験値(知)を自らのコミュニケーション力の糧としてゆくことがグローバル人材への「近道」ではなかろうか。

 

大塚 直樹(国際関係学部 多文化コミュニケーション学科 准教授)

〈2014年8月29日更新〉