戻る求められる「日本人」としての成長

「川端康成の『雪国』が素晴らしかったので、他のお薦めの日本人作家を教えて欲しい」と言われたら何と答えるだろうか。「竹島と尖閣諸島の問題の争点は何か」と問われたらどう説明するだろう。日本の立場、相手国の主張、自分の意見を説明できるだろうか。もし日本食レストランでのビジネスランチの最中に「湯葉の作り方は?」と訊かれたら?

仕事の場で、そして社交の場で、様々な日本に関する質問を私は常に受けてきた。グローバルな環境で日本人が問われるのは日本人としての意見であり知識である。問いにいかに答えるかで「日本人」としてのレベルが問われ、ひいては自分と対等に付き合える素養を身につけた人物かを審査される、そんなシビアさが国際社会には存在する。

グローバルな人材か否かを測る目安は何かといえば、まず語学スコアをあげる人が大半だが、語学は、グローバルな環境で自己を表現すると同時に、外国人が外国語を話していると急に自分より優れているかのように怖じ気づく(特に欧米人に対する)コンプレックスを解消するための基礎ツールにすぎない。留学・海外勤務経験はどうか。これもまたグローバル人材になるための1ステップとはなるが、決して十分条件ではない。結局のところ、日本語で説明できないことを問われても外国語で説明はできず、普段実践していないことがグローバルな環境に移動した途端にできるようになるわけはないからである。

グローバルに活躍できる人材とは、じつは日本人としての常識・教養・マナーを身につけた人材である。それは日々の日常で目にするものであり、本から学ぶことであり、そこから自分が得る考えである。翻って大学のカリキュラムをみてほしい。社会、経済、法律、政治、人間心理等、4年間で学ぶことのできるテーマの広範さに驚くはずである。その全てが大学卒業後の人生に役立つ要素を大なり小なり含んでいることに気づいたとき、大学での成長が約束される。大学での学びは、全てグローバル人材としての成長に不可欠な要素である。

 

太田 瑞希子(国際関係学部 国際関係学科 専任講師)

〈2014年4月1日更新〉