多文化コミュニケーション学科
2026.06.11
多文化コミュニケーション学科「アクティブキャリア入門ⅠB」で野田氏(本学卒業生)が登壇しました
6月8日、多文化コミュニケーション学科1年生向け「アクティブキャリア入門I B」で、2012年本学卒業の野田翔一朗氏が登壇しました。野田氏は、亜細亜大学夢カレッジ5期生で、大学卒業後、島田商事に入社し、上海及びホーチミン駐在など、海外ビジネスのキャリアを積んでこられました。
明確な夢がなかった高校時代
サッカーに打ち込んでいたものの勉強については劣等感があった高校時代。大学に行って「やりたいこと」はないけれども、何となく「留学してみたい」という思いがありました。
そんな時、父親から英語よりも中国語の勉強をすることを勧められます。野田氏が高校3年生だった2007年当時の中国は、経済成長率が10%を超え、GDPも日本に肉迫していました。
当時は、中国に特別な思い入れがあったわけではない野田氏。「これから需要があるかもしれない」と考え、中国語集中教育プログラム(アジア夢カレッジ)のある亜細亜大学を目指しました。
そんな時、父親から英語よりも中国語の勉強をすることを勧められます。野田氏が高校3年生だった2007年当時の中国は、経済成長率が10%を超え、GDPも日本に肉迫していました。
当時は、中国に特別な思い入れがあったわけではない野田氏。「これから需要があるかもしれない」と考え、中国語集中教育プログラム(アジア夢カレッジ)のある亜細亜大学を目指しました。
中国語検定3級試験に挑む
亜細亜大学にはAO入試(当時)で挑戦しましたが、最終試験で不合格。部活を引退後、一般入試で再挑戦して合格。アジア夢カレッジも、入学後の選抜試験に再挑戦して合格します。
アジア夢カレッジ生として中国留学するためには、中国語検定3級合格が必須の条件。大学1年生時には、18時から23時までの補講に加えて夏休みも大量の宿題をこなすなど、中国語漬けの日々を送りました。
2回だけしかチャンスがない中国語検定に11月は不合格。諦めずに挑戦して3月にギリギリ合格。2年生の8月には、無事、中国の大連留学に出発することができました。
アジア夢カレッジ生として中国留学するためには、中国語検定3級合格が必須の条件。大学1年生時には、18時から23時までの補講に加えて夏休みも大量の宿題をこなすなど、中国語漬けの日々を送りました。
2回だけしかチャンスがない中国語検定に11月は不合格。諦めずに挑戦して3月にギリギリ合格。2年生の8月には、無事、中国の大連留学に出発することができました。
過酷な環境で語学力と精神力を高める
大連での留学は、中国人ルームメイトとの相部屋で、生まれて初めて他人との共同生活を経験。その後、中国企業でのインターンも経験しますが、こちらは6人部屋の寮生活。外気温はマイナス15度、シャワーは週に1度という過酷な環境の中で生活しました。
1日を過ごすために中国語が必須という状況下で、語学力も一気にアップ。厳しい環境で過ごすという経験を積むことで精神面の強さも身につけることができました。
1日を過ごすために中国語が必須という状況下で、語学力も一気にアップ。厳しい環境で過ごすという経験を積むことで精神面の強さも身につけることができました。
中国語検定2級に合格
帰国後は、燃え尽き症候群で中国語に対する意欲が低下してしまいます。中国語検定2級の試験も不合格に。さらに6月の2回目の試験は申し込みを忘れてしまうという始末。先生からは就活重視という助言をもらいましたが、夏休みに奮起して11月の試験で2級合格を果たします。
一方、就活は3年生の3月に起きた東日本大震災で活動が止まってしまいます。4年生の7月末になって漸く活動を再開するも、大手企業の面接に落ち続ける日々が続きました。
一方、就活は3年生の3月に起きた東日本大震災で活動が止まってしまいます。4年生の7月末になって漸く活動を再開するも、大手企業の面接に落ち続ける日々が続きました。
就活の軸を見直して商社に就職
日に日に焦りが募るなかで、会社選びは「有名かどうか」ではなく、「自分の経験が積めるかどうか」で選ぶべきことに気がつきます。海外に関わる仕事がしたいので、有名企業かどうかではなく「すぐに海外に行けるか」という基準に変えて志望を商社一本に。この結果、先輩から紹介された島田商事に入社することができ、入社1年目の12月から上海駐在を経験します。島田商事の主要取引先の大手アパレル企業が生産拠点をベトナムにシフトするのに合わせて、2016年にホーチミンに駐在事務所を立ち上げることになり、野田氏は責任者として赴任することになりました。
大失敗も挽回してベトナムの事業を軌道に
ベトナムでは営業だけでなく生産管理も担当。ところが、忙しさにかまけて必要な生産手配を漏らしてしまうという大失敗を経験。納期遅延が発生し、1.5億円もの損出を出しかねない状況に追い込まれてしまいます。ベトナムの事業を潰しかねない事態となり、必死に生産状況を把握し、生産納期を早めるよう工場との交渉を行いました。こうしたリカバリーの結果、何とか最小限の損出を出すだけで事態を収めることができました。2023年に帰国しますが、振り返ってみると7年間で売上は5倍以上、利益は30倍に伸ばすことができました。こうした経験をベースに、さらなる飛躍を目指して2025年に良品計画に転職しました。
社会人15年のキャリアを振り返って
最後に、大学1年生の皆さんに伝えたいアドバイスを4ついただきました。
まず、夢がなくても大丈夫ということ。最初から明確な目標がなくても、チャレンジを続けているうちに、いつか自分の夢に出会えます。第2に、学生時代の経験は後に活きるということ。学生時代には今取り組んでいることが将来何につながるかわかりませんが、後から振り返ってみるとわかるものです。第3に、失敗してもキャリアは終わらないということ。失敗から学んだ教訓は財産になります。第4に、異文化体験は大きな武器になるということ。多文化コミュニケーションは一生使えるスキルになります。
失敗して落ち込むのではなく、前を向いてリカバリーに取り組んでこられた野田氏。ピンチをチャンスに変えて、チャレンジし続けることの大切さを学ばせていただきました。
文責:横田俊之(科目担当教員)
まず、夢がなくても大丈夫ということ。最初から明確な目標がなくても、チャレンジを続けているうちに、いつか自分の夢に出会えます。第2に、学生時代の経験は後に活きるということ。学生時代には今取り組んでいることが将来何につながるかわかりませんが、後から振り返ってみるとわかるものです。第3に、失敗してもキャリアは終わらないということ。失敗から学んだ教訓は財産になります。第4に、異文化体験は大きな武器になるということ。多文化コミュニケーションは一生使えるスキルになります。
失敗して落ち込むのではなく、前を向いてリカバリーに取り組んでこられた野田氏。ピンチをチャンスに変えて、チャレンジし続けることの大切さを学ばせていただきました。
文責:横田俊之(科目担当教員)
<2026年06月11日 12時30分>