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「面白い」を
追いかけていたら
ミャンマーの研究者に

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#亜大の研究
水野 明日香 准教授
経済学部 経済学科
2025.07.01
シリーズ企画「面白くなければ学問じゃない!」では、亜細亜大学の教員陣の研究内容やエピソードを紹介します。第14回の特集は、経済学部 経済学科 水野 明日香 准教授です。
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活力あるアジアに圧倒された10代

10代の頃から海外に関心があり、大学ではミャンマー語を専攻しました。
ちょうどその頃、東南アジアは新しい時代に突入しつつありました。たとえばフィリピンで20年にわたり大統領として君臨してきたフェルディナンド・マルコスがピープルズパワー革命で倒され、ミャンマーでも民主化運動が起こり、ネーウィン政権が退陣に追い込まれました。またタイやマレーシアといった東南アジアの経済成長が注目され始めた時期でもあり、活力あるアジアのパワーに圧倒されました。そのような国際情勢の中で日本ではまだ話者が少ないアジアの言語を修得すれば、将来役立つことがあるのではないかと思い、ミャンマー語を選びました。
高校時代の私にそれほど深い考えがあったわけではありませんが、今はミャンマー語を選択して良かったと心から思っています。それはその後、ミャンマー語を介して地域と深く関わり、現地の人々の穏やかで温かい人柄に触れることができたからです。
大学院への進学は、大学3年生の時、私は初めてミャンマーに旅行し、「もっと知りたい」と思い、決めました。たまたまその頃、ゼミで読んでいた本が、東南アジア史の大家であるファーニバルの本でした。ファーニバルはイギリス植民地時代の20世紀初頭にミャンマー(英領ビルマ)でキャリアを積んだインド高等文官であり、ミャンマーの独立後の困難な道のりの原因は、植民地時代にあると主張していました。そのため、大学院では経済史を専攻しました。

もともと豊かな国だったミャンマーがたどった歴史

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このようなことから、私の専門分野はミャンマーの経済史です。主にイギリスの植民地時代の米輸出や農村部の社会変化について研究しています。
ミャンマーは3度の戦争を経て、英領インドの1州としてイギリスの植民地支配下に組み入れられました。第二次世界大戦中には、日本軍の統治下に置かれた時期もありました。ミャンマーはイギリス植民地時代には世界最大の米輸出地帯となり、鉱物資源も豊富で、「インド帝国の王冠の最も大きな宝石の一つ」と称されるほど英領インドの中でも最も豊かな州の一つでした。
ところが独立後は、経済の低迷が続き、1987年には国連の定める「後発開発途上国」の地位に甘んじることになりました。その主な原因は、ビルマ式社会主義(当時の英語での呼称はビルマ)の失敗でした。ビルマ式社会主義を採用するに至った背景には、先ほどお話ししたファーニバルの歴史認識がありました。ビルマ人は経済が発展する中で、市場経済に適応できず、農村部に取り残されたうえ、借金を重ね、農地も外国人の手に渡ってしまったというものです。ファーニバルは1930年代には既に著名な論客として植民地政策に影響を与えていたし、ナショナリストを通じて、独立後の政策にも多大な影響を及ぼしました。私もファーニバルの著作に影響を受け研究を始めましたが、今は植民地の行政文書や統計のカテゴリーの再検討を通じて、ファーニバルを乗り越えることに挑戦しています。そしてビルマ式社会主義の中心的な農業政策の起源は、植民地時代や日本の統治下の政策にあったと考えています。
近年、日本ではアウンサンスーチー女史の活躍で知られる民主化や経済改革の動きもありましたが、2021年に起きた軍事クーデターでミャンマーの民主化と経済成長への道は再び大きく後退してしまいました。軍事政権はもはや正統性を持ちえない上、軍と結びついた一部の財閥や諸外国の思惑などが絡まり合って、ミャンマーの未来は決して明るいとは言えません。今や私たち研究者もミャンマーでの研究調査は難しくなっています。それでも多くの人々に知っていただきたいのは、先ほどもお話ししたミャンマー人の穏やかな人柄です。私は大学院時代には2年間、国立ヤンゴン大学歴史研究センターに留学し、その後もたびたび渡航して現地の人々と交流を重ねてきました。留学中は水道や電気も通っていないような農村部で聞き取り調査を行ったり、地方に残されている古い手書きの文書を探し出して解読していました。なかなか過酷な体験でしたが、現地で出会う温かいミャンマーの人々との交流は、研究の苦労を忘れさせてくれました。またご高齢の方の中には戦時中の日本軍のことも覚えていて、直接お話をうかがうこともできました。ちなみに軍事クーデター以降、日本にくるミャンマー人が増えていて、昨年のデータでは約8万人のミャンマー人が暮らしているそうです。皆さんの身近にもきっと穏やかに生きているミャンマー人がいると思います。

今を深く知り未来を見通すためには歴史的視点が必要不可欠

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経済学部の授業「アジア経済史」では、ミャンマーだけではなくアジア諸国が欧米各国や日本とどのように関わりながら発展してきたのか、もしくは発展の波に乗り遅れたのかを経済史的な視点から講義しています。ミャンマーもそうですが、現在のアジア各国の現状と経済面での課題を深く理解するためにも、19世紀から20世紀前半にかけての植民地時代を知ることがとても重要になります。内容は「昔のアジア」の話ですが、これを応用し、現在の出来事や身近なことを理解するための視点の獲得を重視しています。
ゼミでは学生が自ら関心があるテーマを見つけ、卒論に取り組んでもらっています。経済史が扱うテーマは、工業化や国際経済秩序など比較的堅いテーマから家族史や環境史、公衆衛生史など身近な問題まで幅広いので、学生は自由にテーマを選ぶことができます。「関心があること」を見つけるためには、実は少し勉強することが必要なのですが、最近は、アルバイト先の同僚の出身国、自分自身や友達のルーツを入り口として対象国を選ぶ学生が多いです。学生が選ぶテーマは様々ですが、各自の作業を進めていく過程で次第に、その時々の時代のムードを反映したゼミ全体の共通のテーマというものが不思議と見えてきます。例えば最近では「アジアの民主化と経済発展」などです。若い人の方が時代の雰囲気に敏感であるように思います。
ミャンマーを中心に東南アジアの経済史の研究をしてきた私としては、フィリピンやインドネシア、ベトナムなど、現在もそして歴史的にも日本と関わりが深い東南アジア諸国に興味を抱く学生が増えると嬉しいです。将来、社会人としてこれらの国々の人々と関わることがあるかもしれません。大学生という若い感性を持つ時期に広くアジアを知ることで、自らの可能性を広げていただければと思います。

分からない気持ちを抱えて、考え続けることが大切

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これから進路を考える高校生や現在の大学生に伝えたいことは、偶然の出会いや縁を大切にすることです。今の若い世代は、子供のころから「好きなことをやろう」「興味があるものを見つけよう」と言われてきたと思います。ただそれは探してすぐに見つかるものではありません。日々の学業や友達と関わり、読書や課外活動、アルバイトなど様々な日常での経験を通じて、少しずつ形成されることです。
それから「分からない」という気持ちを大切にしてください。インターネットで検索すれば、簡単に「答え」が見つかる時代のように思えますが、大事なことは簡単には分かりません。なぜだろうと疑問を持つことが、興味を持つきっかけであり、「面白さ」の始まりです。そして熱中して考え続けているうちに好きになります。すぐに答えは出ないかもしれませんが、後になって忘れた頃に、ふとしたことで「分かった」と思える時がくるかもしれないのです。そうするともっと面白くなります。苦労の末に訪れる喜びは大きいのです。
私自身、たまたま出会ったミャンマーと関わり、分からないという気持ちを抱え、考え続ける中で、だんだんと「面白い」と思えるようになりました。研究者の仕事とはつねに分からないことにチャレンジすることでもあります。留学中は腸チフスにかかったり、寮の部屋にサソリ(!)が出ることに悩まされたりもしました。しかし「面白い」とさえ思っていればなんとかなるもの。
比較的自由な時間がある大学4年間は、様々なことを経験し、ゆっくりと物事を考えられる時です。自分の世界を広げる挑戦もできるし、熱中することで困難があっても乗り越えられると思います。在学中も、卒業後も、ぜひ「面白い」と思えるまで、物事を続けてください。人間にとって「考える」「学ぶ」は一生必要なこと。亜細亜大学の学生とともに私もまだまだ学び続け、新しいことに挑戦していきたいと思っています。一緒に頑張りましょう!
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