面白くなければ学問じゃない!No.1

音楽と言語は同じルールで読み解ける兄弟関係⁉

東条 敏メインINDEX
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#亜大の研究
東条 敏 教授
経営学部 データサイエンス学科
2023.09.01
企画シリーズ「面白くなければ学問じゃない!」では、亜細亜大学の教員陣の研究内容やエピソードを紹介します。第1回目の特集は、経営学部 データサイエンス学科 東条 敏 教授です。
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コミュニケーションの
始まりは
単純な“音”

言語と音楽は同一の起源ではないかということは、はるか昔にダーウィンが最初に言ったことです。原初の人類は今のさまざまな動物と同様、単純な発声によってパートナーを探したり、コミュニティの仲間に敵の危険を知らせたりしていたことでしょう。
例えばベルベットモンキーは、敵がワシなのかヘビなのか種類によって発声が違います。その叫び声の差異によって、聞いた仲間は身の守り方を変えます。またジュウシマツは3つの音素を持ち、これを組み合わせてさえずります。面白いのは、音素の並びに規則があり、ある決まった文法に則ったさえずりだけが文としてメッセージ性を持つということです。長くさえずることができるオスはイケメン。文が長さを持つためには、文中繰り返しが現れます。これは、何かを意味するのではないか? ところが違う。彼らにとっては“長い”ということだけが重要であって、繰り返しに意味はなく、さえずる側も聞く側も回数は覚えてはいません。
 
では我々人間はどうか? 太鼓や笛、発声などによって意志を伝えていた頃から、人類は音を組み合わせることに徐々に意味=メッセージを込めるようになりました。それは脳の発達と文明化によって養われたものです。
ブラジルの少数民族が話すピダハン語では、現在もほぼ1単語が1文。鼻歌や口笛でも伝えられるといいます。用が足りればそれでいいのです。しかし人口が増え、複雑なコミュニケーションが必要になった社会ではそうはいきません。意志を伝えるには、音の組み合わせやシンプルな1単語だけでは足りず、複数の単語で構成した文を作る必要が生まれていったのです。

期待と解決を
繰り返す共通構造
とは?

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ここで、人間だけの特別な能力が発揮されます。スタックという機能です。
我々は、言葉を発したり聞いたりしながら、その言葉を脳内の海馬という部分に短期間記憶します。
例えば、相手の話で“渋谷に”と聞けばその言葉をスタックし、「行くのかな、行ったのかな、それとも新しい店情報?」と次の言葉への期待を抱きます。続いて“映画に”と来れば「行こうなのか行ったなのか」と思い、“観に”ではまだどうなるかわからず、“行った”と言われて納得。記憶し、解決できない宿題を積み重ね、最後の言葉でわかる。それは瞬時のことですが、単語ごとに常に「こうなるのではないか」という期待と、疑問への宿題を重ねていく。
その構造は日本語以外の言語でも同じです。“Ann reads a book”という短い文でも、Annが何をした?→読んだ。なら何を?→aと来れば単体のモノだな。→bookと聞いて納得に至ります。ひとつのフレーズ内のこうした構造は、名詞・名詞句・動詞句・冠詞・他動詞などの組み合わせに分解でき、必ず一定の方向で記憶・疑問・解決に進んでいきます。これを文脈自由文法といい、我々が見聞きするほとんどの言葉はこの構造を持っています。

そして我々が聞いている音楽もまた、それに類似の構造を持っています。
ドレミと続けば次はファが来るかな?と期待する、あるいは童謡や民謡などでは、次のメロディは当然こうなっていくと想像できるでしょう。音楽用語でカデンツという和音規則があります。主題であるトニック(T)、属音のドミナント(D)、Dを飾るサブドミナント(S)の並び方はある種の基本形を成し、最後にTが来たら終わりだなと誰もが感じるようになっています。聞いた音のスタックがあり、期待と疑問があり、解決に向かう。音楽にも言語と同様の文法構造があるのです。
これは、人間にとっての音楽と言語は、同じルーツをもつという証左です。

期待を裏切られる
面白さも
共通か

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もちろん言語は地域によって違う発達をみてきました。国や地域ごとに“国語”が固定されたのは近世に至っての学校教育によるものです。けれど、各地の音楽には言語との親和性が大きく見られます。カンツォーネは音の長短が強調されるイタリア語、シャンソンは音のアップダウンの多いフランス語、ドイツ語のリートならアクセントのメリハリが強い。個々の言語には、そうした音楽イメージも既に内包されています。
童謡や民謡、演歌などでは期待から解決への流れが極めてシンプルに現れています。だから我々は次のメロディを期待して思い描き、予想通りであることに満足します。解決までのプロセスは簡単です。だから、場合によってはマンネリとも感じる。ヒネリが欲しい。

カデンツの文法に即していればすんなり聞けて気持ちがいい。それに反した音をちょっと入れるのは、不安感を呼ぶか面白さへの期待を喚起するかの賭けです。日本では坂本龍一や松任谷由実、最近では米津玄師などの作る音楽は、教科書を微妙に逸脱した和声進行を入れ込んでいますね。音楽文法上での期待への裏切りがよい方向に向かったケースではないかと思います。

言葉も同様のことが言えるのではないでしょうか。
期待し、予想したものとは違う単語が登場すると、我々は気持ちを揺さぶられることがあります。俳句や短歌、詩、小説、あるいは漫才やコントなどでも、時にそういうことが起きます。

収斂(しゅうれん)進化という概念があります。進化の過程で相当の過去に分かれた種が、似た環境の中で同様の形態を持つことを言います。音楽と言語も、ある種の収斂進化をしてきたと考えられています。
人類は、おそらく最初は、単音だけで意志を伝えていた。やがて短いメロディや太鼓、笛などの音を伝達手段とした。そして言葉が生まれた時に、音楽と言語は分かれたけれども、その根源を一緒にする2つは、似た構造を獲得して現在に至っているのではないかと考えられます。

音楽のメッセージ性は
人々の文化に
根ざす

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では、原初に音楽から言葉が生まれたならば、もはや人間のコミュニケーションに音楽は必要なくなったのでは? そうではなかった理由はいくつかあります。
スマホでいくらでも音楽を聴けるこの時代に、なぜコンサートに行くのでしょうか。アンソニー・ストウは「音楽の由来は生物としての一体感を求める行動」と書いています。その場にいること、共に聴くことが一体感を生みます。それは祭りも同じです。原初からの衝動とも言えます。同じ場所で同じ音楽を聴き、共に高揚するコンサートや祭りは無くなることはないでしょう。
また、多くの場合、恋などが始まる多感な思春期に好きだった音楽は生涯を通じて忘れることはありません。それもまた、生物としての人間のありようを感じさせます。

音楽は今も、言語同様のメッセージ性も持っています。構造と、その地の文化的背景の両方が関与している部分です。例えば雷や鳥の声などの表現は模倣の段階。次には悲しみや怒り、喜びなどの表現があります。さらに次段階では社会規範への明確な言及もできます。国家、行進曲などはそれを聞くとみな同じ行動パターンを取るものです。これは本当に、文化圏によって違います。私はスコットランドの居酒屋で『蛍の光』を歌う人がいて、すわ閉店かと思いました。もちろん、同メロディのあちらの民謡にはそんな意味は全くありません。

これからはAIが作る音楽もさまざま出てくるでしょう。カデンツの文法に則した楽曲も簡単に創り出していくかもしれません。
ただAIは、シンプルな発声から始まって音楽と言葉とを得てきた人間の歴史を持たず、感情も持ちません。音の重なりから揺り動かされる人間の情動、その心地よさや喜び、悲しみといった感情に応えられるのか? そして何よりも、人の心がそれをすんなりと受け入れられるのか? 今後の探究が待たれる分野です。
#亜大の研究
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