自分だけの#

#2度の留学は、
私に気づきと成長をもたらしてくれた

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#亜⼤の留学
原朋子
国際関係学部 国際関係学科4年 2019年度入学
2023年1月撮影
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国際関係学部
国際関係学科を
選んだワケ

小学校から高校3年までフェンシングを続けていましたが、「やり切った」という気持ちが大きく、「大学では新しいことをしよう」と決めていました。フェンシングの成績上位者として5回の海外遠征を経験するうちに、もっと英語を話せるようになって海外のいろいろな所に行きたいと思うようになっていたことから、「英語力をつけて留学に」と、国際関係学科を選びました。亜大の国際関係学部は、英語力を高めるプログラムや留学制度が充実していたことが魅力でした。
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教職課程と副専攻を通して
「あんな先生になりたい」
との思いが増していった

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入学時には「新しいことがしたい」「英語力をつけて留学をしたい」との思いはあったものの、特に希望する進路や目標はありませんでした。そこで「まずは資格を」と考えて思いついたのが、教員免許でした。
国際関係学科では社会や英語(中学校・高等学校)の教員免許状を取得できることを知り、教職課程を履修することにしました。専門科目の授業と両立しながらの履修は苦労もありましたが、親身になって指導してくれる教員の姿に「私もあんな先生になりたい」との思いが増していきました。
もし中学・高校の教員になったら、フェンシングの競技経験を活かして部活動に関わりたいと思ったので、2年次には「スポーツ科学副専攻」を履修しました。私自身、高校時代はストイックになりすぎて体調を崩した苦い経験もあります。同じような生徒を出さないためにも、指導者としてスポーツ全般の正しい知識を知っておくべきだと考えました。実際に「スポーツ心理学」や「スポーツ生理学」、「スポーツの測定と評価」などの授業を通じてエビデンスに基づく最先端の理論を知ることができ、勉強になりました。
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「エクスパート英語」と
国際法の授業で
世界を身近に

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1年次から履修した「エクスパート英語プログラム」は、どの授業も英語のみで進むので、ついていけるのか不安でした。でも実際は先生方がとても分かりやすい英語で何度も説明してくれ、学生同士で助け合いながら続けることができました。
なかでも、2年次に受けた「Academic Writing」は、大いに役立ったと感じています。学術的な論文を書くための表現法やまとめ方などを学び、2週間に1回程度、決められた形式で自由に論文を仕上げます。課題提出やフィードバックはコロナ禍によるオンライン授業だったためにメールでのやり取りでしたが、正しい英文メールの書き方も助言してもらえました。最後は『私もこんなに書けるようになった』という達成感が湧いてきましたね。その後、留学先でもエッセイや論文を課されましたが、自信を持って取り組むことができました。
3年次からは、国際法が専門の秋月弘子教授のゼミを選びました。2年次に受けた同教授の「国際法入門」で、自衛隊のとらえ方など私たち学生にも身近なテーマを入り口に国際裁判の判例を読み解いていく授業に引き込まれたからです。秋月教授は、国連開発計画(UNDP)や国連貿易開発会議(UNCTAD)に関わったほか、現在は国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)委員を務めるなどグローバルに活躍していることで知られています。ゼミでは学生がそれぞれ提示された国際裁判の判例を予習してきて、ディスカッションしながら理解を深めます。最後に先生が講評とともに国連のタイムリーな話も聞かせてくれて、世界がより身近に感じられました。厳しいとの噂もありましたが(笑)、実際は学生一人ひとりのことをきちんと見守り指導してくれる素晴らしい先生です。
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早期の企業研究で進路を絞り
ボランティア活動への参加で
自分の将来像をより具体的に

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2年次から企業研究などに取り組み、大学主催の「企業発見フェア」などで200社から気になる企業を選んで回りました。3年次の「就職ガイダンス」で就活の見通しをつけ、夏から冬にかけて各企業のインターンシップに参加しました。自分が働く姿を想像しながら、やはり私は、学校で子供たちと触れ合いながら日々の成長を見届ける仕事をしたいのだと確認することができました。
教員志望の学生向けの講座「教採(教員採用)道場」では、教員採用試験に必要な知識を教わり、模擬授業などを重ねていくうちに、昔お世話になった先生方への感謝の気持ちや理想の先生像について考えるようになりました。同時に、先生のアドバイスや仲間たちとの切磋琢磨のおかげで、ハードルが高いと感じていた教員採用試験も乗り越えられると思えるようになりました。
そのほか、国立青少年教員振興機構が運営する「法人ボランティア」養成カリキュラムを受けたり、亜細亜大学主催の学生ボランティア活動「アジアの風塾」で地域の小学生向けの学習支援に参加したりと、課外活動にも積極的に参加しながら、さまざまな経験を通じて教員としての自分の将来像を具体的に描けるようになりました。
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入学前からの夢だった留学
身についたスピーキング力を
教育実習に活かした

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2年次に行くつもりだった留学はコロナ禍で中止。しかし2022年の春休みに、短期留学プログラムに参加しました。この時期は本格的な就活が始まる3年次の年度末でしたが、早い時期から進路を教職一本に絞っていたおかげで、参加することができました。
約7週間の留学先は米国のセントラルワシントン大学。まだコロナ禍の影響が残る時期でしたが、亜細亜大学インターナショナルセンターの職員に出入国に必要な手続きをフォローしてもらい、派遣先でも先生や学生のサポートがあったことで安心して過ごすことができました。現地学生と友達になって一緒に旅行もするなど、楽しいことばかりでした。さらに身についたスピーキング力を、帰国後の6月に参加した教育実習で活かすことができました。実習先の高校ではオールイングリッシュの授業を目指していたため、私も英語だけで授業を行いました。ネイティブのALT*担当先生とのコミュニケーションも含め、実習をスムーズに進められたのは、間違いなく短期留学のおかげです。
*ALT:外国語が母語である外国語指導助手のこと
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最後に叶えた長期留学
教員になった後の
新たな目標も

教育実習は順調に終えたものの、「英語力をもっと磨きたい」との思いから、9月から5カ月間の留学AUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)にも参加しました。教員採用試験の合格発表を待たず、「落ちても講師として踏み出せばいい」との覚悟で臨みました。
行き先は前回と同じ大学でしたが、授業のレベルが上がりました。ただ留学生のほとんどが2年生で、慣れていない子も多かったので、上級生の私が引っ張っていこうと率先して手を挙げるなど盛り上げ役に努めたのは、私自身の大きな変化でした。
そのうちに留学生向けの授業では物足りなくなり、思い切って先生に相談してみたところ、現地の在学生向けに開講されている授業科目に参加させてもらえることになりました。スピード感のあるディスカッションに初めこそ気圧されたものの、何度も聞き直しながら意見を交わせるまでになりました。一方プライベートでは、冬休みに友人と旅行にいく直前に寒波で飛行機がキャンセルになるトラブルにも見舞われたりもしました。普段であれば亜細亜大学専属の現地補助学生に助けてもらいますが、同様のトラブルで多くの学生が頼っていたので、順番を待つより自力で対処してみようと、旅行会社とのやり取りやホテル、飛行機チケットの予約を英語で行いました。とっても苦労しましたが、「何事も自分でやってみるものだ」という良い経験になりました。
留学先で、無事に地元での教員採用が決まったことを知りました。2度の留学は私にいろいろな気づきや成長をもたらしてくれたと思います。教員として経験を積んでいき、将来は海外で活動するという新しい目標もできました。
亜大を目指す
高校生・受験生へ

受験生へのメッセージ

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亜細亜大学では、遠い存在だと思っていた先生方が驚くほど親身になって指導してくださいました。そして入学当時に何の目標もなかった私が、いろいろなことを学び、自分自身のそれまでの経験や気持ちと向き合い、やりたいことを見つけることができました。皆さんもぜひ先生方をどんどん頼って、興味のあることにチャレンジしてみてください。
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