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「インド」を学べば
人生の「ワクワク」が
きっと見えてきます。

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#亜大の研究
小磯 千尋 教授
国際関係学部 多文化コミュニケーション学科
2024.12.01
シリーズ企画「面白くなければ学問じゃない!」では、亜細亜大学の教員陣の研究内容やエピソードを紹介します。第12回の特集は、国際関係学部 多文化コミュニケーション学科 小磯 千尋 教授です。
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物心付いたときからなぜか「インド」が好きだった

「なぜインドが好きになったのか?」。それは答えることがとても難しい質問です。というのも、私は物心付いたときから空飛ぶじゅうたんや魔法使いなど「インド的」なキャラクターが登場する絵本が大好きだったからです。今から考えるとそれらの絵本はアラビア世界のお話が多かったのですが、当時は混同して考えていたのですね。
 そうしたインド好きの一面は成長するにつれてどんどん膨らんでいき、ついに大学時代、女性の友人2人と共に初めての憧れの地インドへの旅に出ました。
 向かった先はインド西海岸、アラビア海に面した大都市ムンバイー(旧ボンベイ)です。着陸して飛行機のタラップの上に立ったとき、ムワッとした熱気に包まれた私は思わず「ここに住みたい!」と強く思いました。まだインドの大地に足を下ろしていないにもかかわらず。人によってはインドの空気は「臭い」と感じるのかもしれませんが、私にとってはとてもリラックスできる素敵な香りだったのです。
 1か月以上に及んだ初めてのインドの旅は、どこに行っても楽しく、たいへん思い出深いものになりました。旅を続けているうちに「いつかインドに住みたい」という気持ちがますます強固になっていき、「この国に留学したい! どうしたらインドに住めるの?」と騒ぎ出した私を友人たちがなだめてくれました(笑)。しかし、自分がインドの思想や文化の研究者になるとは、当時まったく想像していませんでした。アカデミズムとは関係なく、ただただインドが好きで、この国に住みたかったのです。
 
 

「知りたい」「住みたい」を追求していたら研究者の道へ

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インドに住むためにはやはりインドの公用語である「ヒンディー語」の修得が必要です。大学卒業後、私は日本でヒンディー語の基礎だけを学び、とりあえずインドに渡って、語学学校のようなところでヒンディー語の勉強を開始しました。とはいえ勉学中心の「留学」ではなく、インドでの生活や旅を楽しみながら言語や文化を学びました。
ヒンディー語は暗号文字のように思える「デーヴァナーガリー文字」を使います。一見、とても難しい言語のように思えますが、実は語順が日本語と同じで、母音の発音も英語などよりシンプルなので日本人にとって習得しやすい言語かもしれません。現在、私は亜細亜大学でヒンディー語の授業を担当しています。日本でこの言語を学べる大学はとても珍しいので、インドに興味を持った学生にはぜひチャレンジしてほしいと思っています。
さて当時、私が住んでいたのは広大なインドの真ん中、マハーラーシュトラ州にあるワルダーという町でした。ワルダー自体は田舎町でしたが、鉄道を利用してどこに行くのも便利なロケーションで、私はバックパッカーの旅でインド中を旅しました。ヨーロッパ全体がすっぽり入ってしまうスケールの国ですから、東西南北、文化も言語も人種も違って、いくら旅しても飽きることはありません。南インドの人たちは控えめでゆったりしていて居心地が良いのですが、私が好きなインドは北東部のガンジス川流域の地域です。こちらの人々は気持ちをストレートにぶつけてくる力強さがあり、若い女の子を見るとすぐに「結婚しようよ!」と言いかねない人もいたりします(笑)。でもそういうエネルギッシュで、本音で生きているインドの人たちが私は大好きでした。

「ジュガール」はインド人のグローバルな活躍の原動力?

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インドでの生活が4年に及んでも「もっとインドのことを知りたい」という思いは少しも衰えませんでした。そこで正式に大学院で勉強しようとプーナ大学大学院で哲学を専攻することにしました。大学キャンパスがあるマハーラーシュトラ州のプネーは国の研究機関や大学が集まった英国のケンブリッジ、オックスフォードにも比べられるアカデミックな町。場所も高原にあってむしろ日本の夏より過ごしやすくて快適でした。修士課程の期間中、日本から留学していた夫と知り合い、一度日本に帰国して結婚後、再度夫婦そろってプーナ大学に戻って博士課程に進み、二人とも研究者の道を歩むことになりました。
私は主にインド最大の宗教ヒンドゥー教の思想について研究してきました。今も毎年一度はインドを訪れ、最初に住んだマハーラーシュトラ州の人々の生活と文化、特に食文化と宗教についてのフィールドワークを行っています。インドの食文化については一般向けの書籍も出版しました。さらに近年は宗教儀礼などに使われるお香=香りについてのフィールドワークに力を入れています。
ところで今、インドは国際社会でも独自の存在感を放っています。例えばアメリカではシリコンバレーをはじめ、多くの企業でインド人経営者が増えており、イギリスの前首相もインド系でした。さらに日本でも、あられやおせんべいのトップメーカーである亀田製菓の現在のCEOも、大阪大学や名古屋大学で研究者をされていたインド出身の方です。このようにインドの人たちは海外でめざましい活躍をしているのですが、私はその理由の一つが、インド人がよく使う「ジュガール」という考え方にあるのではないかと思っています。
「ジュガール」というのは、簡単に言うと「急場しのぎの代替案」のこと。難しい問題に直面した時、時間や解決の手段がそろわなくても、あり合わせの材料で間に合わせたり、規則を少々曲げてでも解決してしまうことを指す言葉として使われます。
たいていの人があきらめてしまうような局面でも、多くのインド人には乏しい手段を駆使して「なんとか乗り越えよう」という「ジュガール」精神があります。ヒンドゥー教は多くの地域の神様を取り込んで成り立っている多神教ですが、その許容性もまたこの「ジュガール」に基づいているともいえます。今や米国の大学の講義で「経営哲学」のテーマとして取り上げられているそうです。


生きていくエネルギーにはワクワクすることが必要

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私自身、「ジュガール」に通じる「ダメ元精神」でチャレンジすることの大切さをインドでの生活を通して学びました。たとえ失敗してもインド人たちは「ノープロブレム」と笑い飛ばして、次のチャレンジに取りかかります。日本人にとっては、図々しさやアバウトさと感じられるかもしれません。しかし逆にインドの人たちから見ると、日本の若者が挑戦することに消極的で、1、2度失敗すると心を病んでしまうことが不思議でしょうがないそうです。
私も自分が教えている若い人たちには「ジュガール」や「ダメ元精神」、いわば生きていくために必要なエネルギーを持っていただきたいと思っています。そのためにはあらゆるものに好奇心を持ち、心からワクワクできることを見つけることが必要不可欠。私は若い頃からずっと「インド」にワクワクして現在に至ります。決して飽きることはありません。授業やゼミ活動を通して、そんなインドの面白さ、汲めども尽きぬ魅力を少しでも学生に伝えたいと思っています。
最初はインド料理や映画への興味で十分です。「ジュガール」に関しては現地で体験した面白いエピソードがたくさんありますから、興味がある方はぜひ私の研究室に遊びに来てください。首都圏にあるおいしいインド料理店もご紹介できますし、女子学生にはインドの民族衣装サリーの着付けをお教えすることもできます。
日本人と異なるインドの人々の生き方や文化に触れることで、若い世代の方々もきっと自分を取り巻く社会や自分自身の見え方が変わってくると思います。インドという異文化のフィルターを通して、私と一緒にあなたが心から「ワクワク」できるものを探しましょう!

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