灌漑システムの
成否を分ける
「公平性」とは?
成否を分ける
「公平性」とは?
#亜大の研究
角田 宇子 教授
国際関係学部 国際関係学科
2025.12.01
シリーズ企画「面白くなければ学問じゃない!」では、亜細亜大学の教員陣の研究内容やエピソードを紹介します。第19回の特集は、国際関係学部 国際関係学科 角田 宇子 教授です。
中南米古代文明への憧れから国際協力の道へ
就職活動では大学で学んだ文化人類学を活かせる仕事をしたいと思っていたのですが、まだ男女雇用均等法施行前で、私のような「地方出身、一浪、コネなしの女子」の就活は決して簡単ではありませんでした。しかし、運よくJICA(国際協力事業団。現在は国際協力機構)の採用試験にパスして国際協力の世界に飛び込むことになりました。
JICAは開発途上国を支援する日本の政府開発援助(Official Development Assistance : ODA)による様々な開発プロジェクトを実施しています。JICA職員となって4年目に私は開発途上国の農業開発、特に灌漑(かんがい)開発プロジェクトを担当することになりました。「灌漑」とは農作物の栽培に必要な水を、川やダムなどの水源から用水路を通じて水田や畑に人為的に供給することです。日本の農業でも灌漑設備は重要なインフラですが、JICAの担当者として途上国で目にしたのは、日本では考えられないような大変な灌漑システムの運営状況でした。たとえば用水路の草取りや清掃などの維持管理不足とそれによる下流部の水不足、水が豊富な上流部の農家による盗水、そこから生じる灌漑地区内での水争い、水利費の不払いなど、多くの灌漑プロジェクトが問題を抱えていました。
途上国側に問題はありますが、一方で支援を行う日本側にも当時は現地の実情への配慮という視点が乏しかったように思います。現在は異なりますが、当時の日本の援助では「技術移転」といって、日本の「優れた」技術を開発途上国に移転すれば、開発途上国の問題は解決できると考えられていました。このため灌漑プロジェクトにおいても、日本の灌漑システムの施設を導入すれば途上国の灌漑システムの運営が成功するとされていました。そのため途上国で近代的な灌漑施設が日本のODAで建設されていきました。しかし単に施設という「ハード」を提供しても受け入れる現地の農家から成る水利組合が適切に灌漑システムを運営しないとせっかくの灌漑システムもうまく機能することができません。灌漑システムの成功には灌漑施設という「ハード」と水利組合による運営という「ソフト」の両方がそろうことが必要です。現地の人々の組織や制度といった「ソフト」と灌漑施設というインフラ、すなわち「ハード」への配慮なしには灌漑システムが有効に機能することはありません。ちなみに現在のJICAの援助では現地の社会・文化に配慮した「適正技術開発」を実施しています。
フィールド調査で「水利組合の成否の要因」を探る
JICAの担当者として痛感した途上国の灌漑システムに関する様々な問題の解決策を模索すべく、私はJICAの海外長期研修制度を利用してアメリカのボストン大学に留学。開発人類学の研究に取り組みました。
帰国後はJICAの医療協力部、インドネシア事務所に勤務しました。その間次第にアメリカで学んだ開発人類学を自分の専門としていきたいという気持ちが強くなっていきました。そして1997年縁あって教員・研究者として亜細亜大学に着任。現在は開発途上国の灌漑システムにおける水利組合の成否の要因を国内外のフィールド調査を通して研究しています。
途上国の開発に必要な融資を行う世界銀行では、1990年代より参加型灌漑管理(Participatory Irrigation Management: PIM)の導入を提唱しています。PIMで推進されているのは灌漑管理移管(Irrigation Management Transfer: IMT)といって、灌漑システムにおいて水源のダムと幹線水路は政府機関が管理し、そこから枝分かれする二次水路以下の水路は水を実際に利用する農民によって組織された水利組合(Water Users Association: WUA)が運営する管理方法です。しかし多くのWUAは内部でトラブルを抱え、うまく運営できているPIMは数少ないのが現状です。私がフィールド調査をしたフィリピン・ボホール州の2つのWUAでも片方はとてもうまくいっているのに、もう片方は多くの問題を抱えていました。「同じボホール州にありながら、なぜこの2つの水利組合ではこのように運営状況が異なるのか?」。現地での調査を重ねてもなかなか答えが分からなかったこの疑問に取り組むため、2007年私は再びアメリカに渡りました。今度はコロラド州立大学において灌漑社会学者であるディヴィッド・フリーマン先生の下で、客員研究員として1年間の研究生活を送ることになりました。
帰国後はJICAの医療協力部、インドネシア事務所に勤務しました。その間次第にアメリカで学んだ開発人類学を自分の専門としていきたいという気持ちが強くなっていきました。そして1997年縁あって教員・研究者として亜細亜大学に着任。現在は開発途上国の灌漑システムにおける水利組合の成否の要因を国内外のフィールド調査を通して研究しています。
途上国の開発に必要な融資を行う世界銀行では、1990年代より参加型灌漑管理(Participatory Irrigation Management: PIM)の導入を提唱しています。PIMで推進されているのは灌漑管理移管(Irrigation Management Transfer: IMT)といって、灌漑システムにおいて水源のダムと幹線水路は政府機関が管理し、そこから枝分かれする二次水路以下の水路は水を実際に利用する農民によって組織された水利組合(Water Users Association: WUA)が運営する管理方法です。しかし多くのWUAは内部でトラブルを抱え、うまく運営できているPIMは数少ないのが現状です。私がフィールド調査をしたフィリピン・ボホール州の2つのWUAでも片方はとてもうまくいっているのに、もう片方は多くの問題を抱えていました。「同じボホール州にありながら、なぜこの2つの水利組合ではこのように運営状況が異なるのか?」。現地での調査を重ねてもなかなか答えが分からなかったこの疑問に取り組むため、2007年私は再びアメリカに渡りました。今度はコロラド州立大学において灌漑社会学者であるディヴィッド・フリーマン先生の下で、客員研究員として1年間の研究生活を送ることになりました。
アメリカの恩師から学んだ「公平感」の大切さ
コロラド州立大学に着くなり、フリーマン先生に私のフィールドのフィリピンの灌漑システムが抱える様々な問題点を説明したところ、「It’s a common problem!(それはどこにでもある話だ)」と一笑に付されてしまいました。続けて先生は「世界にはうまくっている灌漑システムもあるんだよ。成功する灌漑システムにはある条件がある。それを備えている灌漑システムでないと成功しない」とおっしゃいました。私が「それはどんな条件ですか?」と聞くと「あなたにそれを教えるのはまだ早い。まずは自分で灌漑運営について良く勉強してください」と、ご自身の著書を含む参考文献を紹介してくださいました。
そこで私はこれらの参考文献を読み、自分のフィールドノートを整理していくと、フィリピンの灌漑システムが多くの問題を抱えていることが改めて明らかになりました。しかしなぜかという疑問は解けませんでした。そこで改めてフリーマン先生に教えを乞うたところ、「灌漑用水割当制度(Water Share Distributional SystemまたはDistributional Share System)」を教えてくれたのです。1年間の研究生活も終わりに近づいていました。フリーマン先生によれば、水利組合が成功するためにはメンバー間で「公平感」が保たれることが不可欠であるということでした。そしてそのためには水利組合において組合員の間で用水の割り当てと運営の負担、そして組合内での発言権が連動していてこそ、組合メンバー間の公平感が生まれ、水利組合の運営が成功するというのです。さらにそのためには灌漑システムの水利費は使った分だけ水代を払うという従量制でなければならない、というものでした。灌漑システムの水利費は農地の面積割だ、という従来の考え方にとらわれていた私は思わず「それじゃ水道料金のようなものじゃないですか」と言ってしまいました。すると先生は「そうだよ、何が悪い?灌漑用水を使った分だけ払うのは公平だろう?」と言われました。目からうろこ、の思いでした。
そういわれてみれば、フィリピンの研究フィールドで生じている不公平感の原因の一つは面積割の水利費によるものでした。なぜならフィリピンの灌漑システムでは用水が足りず、下流で水不足が発生しているのですが、面積割の水利費では下流部の組合員は受け取る水の量は少ないのに、上流部と同じ金額の水利費を払わなければならない。すなわち相対的に高い水利費を払うことになってしまっているためです。
フリーマン先生にはコロラド州にあるサイフォンを使って取水するシンプルな灌漑システムを紹介してもらいました。ここでは農家は予め水管理人に水路に挿すサイフォンの数を申請しておきます。サイフォンの数から取水量がわかります。当日水管理人が確かに申請通りの本数のサイフォンがあるか、目視で確認するのです。このシンプルながら、コロラドの人々の、自分が払った分だけ取水するという「公平感」を満足させる仕組みにとても感銘を覚えました。途上国、先進国を問わず、灌漑システムの成功のためには、要はそれぞれの地域社会に適した方法で、水の配分と負担と発言権が連動する割当制度が導入され、その結果、水利組合メンバー間で同量だ、公平だ、と納得感が得られることが重要なのです。
ちなみに日本の土地改良区では水利費(賦課金)は面積割が主流ですが、灌漑技術の高さにより下流部で水不足がないため、上流部でも下流部でも同じ量を取水できます。このため組合員の間で「公平感」を保つことが可能になっています。
フリーマン先生のおかげで灌漑システムの運営を成功させる理論を学び、それを事例に当てはめて理解することができました。1年間の滞米中に公私にわたり大変お世話になったフリーマン先生には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。先生の理論を広く世の中に紹介することが先生への恩返しだと思っています。
そこで私はこれらの参考文献を読み、自分のフィールドノートを整理していくと、フィリピンの灌漑システムが多くの問題を抱えていることが改めて明らかになりました。しかしなぜかという疑問は解けませんでした。そこで改めてフリーマン先生に教えを乞うたところ、「灌漑用水割当制度(Water Share Distributional SystemまたはDistributional Share System)」を教えてくれたのです。1年間の研究生活も終わりに近づいていました。フリーマン先生によれば、水利組合が成功するためにはメンバー間で「公平感」が保たれることが不可欠であるということでした。そしてそのためには水利組合において組合員の間で用水の割り当てと運営の負担、そして組合内での発言権が連動していてこそ、組合メンバー間の公平感が生まれ、水利組合の運営が成功するというのです。さらにそのためには灌漑システムの水利費は使った分だけ水代を払うという従量制でなければならない、というものでした。灌漑システムの水利費は農地の面積割だ、という従来の考え方にとらわれていた私は思わず「それじゃ水道料金のようなものじゃないですか」と言ってしまいました。すると先生は「そうだよ、何が悪い?灌漑用水を使った分だけ払うのは公平だろう?」と言われました。目からうろこ、の思いでした。
そういわれてみれば、フィリピンの研究フィールドで生じている不公平感の原因の一つは面積割の水利費によるものでした。なぜならフィリピンの灌漑システムでは用水が足りず、下流で水不足が発生しているのですが、面積割の水利費では下流部の組合員は受け取る水の量は少ないのに、上流部と同じ金額の水利費を払わなければならない。すなわち相対的に高い水利費を払うことになってしまっているためです。
フリーマン先生にはコロラド州にあるサイフォンを使って取水するシンプルな灌漑システムを紹介してもらいました。ここでは農家は予め水管理人に水路に挿すサイフォンの数を申請しておきます。サイフォンの数から取水量がわかります。当日水管理人が確かに申請通りの本数のサイフォンがあるか、目視で確認するのです。このシンプルながら、コロラドの人々の、自分が払った分だけ取水するという「公平感」を満足させる仕組みにとても感銘を覚えました。途上国、先進国を問わず、灌漑システムの成功のためには、要はそれぞれの地域社会に適した方法で、水の配分と負担と発言権が連動する割当制度が導入され、その結果、水利組合メンバー間で同量だ、公平だ、と納得感が得られることが重要なのです。
ちなみに日本の土地改良区では水利費(賦課金)は面積割が主流ですが、灌漑技術の高さにより下流部で水不足がないため、上流部でも下流部でも同じ量を取水できます。このため組合員の間で「公平感」を保つことが可能になっています。
フリーマン先生のおかげで灌漑システムの運営を成功させる理論を学び、それを事例に当てはめて理解することができました。1年間の滞米中に公私にわたり大変お世話になったフリーマン先生には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。先生の理論を広く世の中に紹介することが先生への恩返しだと思っています。
国際協力の基礎から実務まで学べる!
誰もが感じているように、現在、国内外に関わらず、国と国、地域と地域、人と人の間の様々な「格差」が広がっています。2015年に国連で採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」は貧困や飢餓、気候変動、ジェンダー平等をはじめ、より良い世界を目指すための国際目標で、日本を含むすべての加盟国が「誰一人取り残さない」という理念のもとで取り組むものです。昨今の「格差」の広がりは、SDGsの理念の実現を危うくするものです。
「格差」は決して途上国だけの問題ではなく、日本国内の問題でもあり、学生の皆さんの未来に関わる問題でもあります。亜細亜大学で開発援助や貧困などの開発途上国の開発問題に関心を持つ学生には、ぜひこの「格差」の問題を真剣に考えてもらいたいと思っています。
私のゼミでは3年次に途上国の様々な課題を理解するための基礎知識をワークショップを通じて学び、4年次には学生各自が関心を持つ国に関する特定の研究テーマで卒論執筆に取り組んでいます。
また学科で担当している科目には私の古巣であるJICAの筑波センターでJICA職員や専門家、海外協力隊OB、開発コンサルタントなど日本の援助の実務者から5日間にわたって開発援助の実務を参加型で学ぶ国際協力実務講座に参加するという「実践国際開発論」もあります。
学生の皆さんにはできるだけ開発途上国の社会を知るための機会を提供していきたいと思っています。また国際協力に関わるキャリアについてもアドバイスできると思います。
高校生・受験生の皆さんの中には大学で何を勉強すればいいのか、そして将来どんな仕事がしたいのか、まだ迷っている人も多いと思います。でもきっとチャンスや目標は目の前にあります。最初に紹介した通り、私自身、最初は中南米の古代文明への憧れが出発点でした。その後、文化人類学、国際協力、灌漑開発と目の前にあるものに取り組んでいくうちに自分のやりたいことが明確になっていったと思います。
大学には多くの分野の専門家がいます。もしあなたが漠然でもいいので、より良い世界のために何かしたいという想いを持っているのなら、ぜひ亜細亜大学国際関係学部に来てください。私を含む多くの専門家があなたの想いを形にすることをお手伝いさせていただきたいと思います。
「格差」は決して途上国だけの問題ではなく、日本国内の問題でもあり、学生の皆さんの未来に関わる問題でもあります。亜細亜大学で開発援助や貧困などの開発途上国の開発問題に関心を持つ学生には、ぜひこの「格差」の問題を真剣に考えてもらいたいと思っています。
私のゼミでは3年次に途上国の様々な課題を理解するための基礎知識をワークショップを通じて学び、4年次には学生各自が関心を持つ国に関する特定の研究テーマで卒論執筆に取り組んでいます。
また学科で担当している科目には私の古巣であるJICAの筑波センターでJICA職員や専門家、海外協力隊OB、開発コンサルタントなど日本の援助の実務者から5日間にわたって開発援助の実務を参加型で学ぶ国際協力実務講座に参加するという「実践国際開発論」もあります。
学生の皆さんにはできるだけ開発途上国の社会を知るための機会を提供していきたいと思っています。また国際協力に関わるキャリアについてもアドバイスできると思います。
高校生・受験生の皆さんの中には大学で何を勉強すればいいのか、そして将来どんな仕事がしたいのか、まだ迷っている人も多いと思います。でもきっとチャンスや目標は目の前にあります。最初に紹介した通り、私自身、最初は中南米の古代文明への憧れが出発点でした。その後、文化人類学、国際協力、灌漑開発と目の前にあるものに取り組んでいくうちに自分のやりたいことが明確になっていったと思います。
大学には多くの分野の専門家がいます。もしあなたが漠然でもいいので、より良い世界のために何かしたいという想いを持っているのなら、ぜひ亜細亜大学国際関係学部に来てください。私を含む多くの専門家があなたの想いを形にすることをお手伝いさせていただきたいと思います。