面白くなければ学問じゃない!No.5

ボランティア活動中の事故に
「責任」はある?
法と心の関係を考える

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#亜大の研究
田中謙一教授
法学部 法律学科
2024.01.24
企画シリーズ「面白くなければ学問じゃない!」では、亜細亜大学の教員陣の研究内容やエピソードを紹介します。第5回目の特集は、法学部 法律学科 田中 謙一 教授です。
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私たちに身近な法律問題に注目

もともと司法試験合格をめざして法学部に進学した私ですが、ほどなくしてその道をあきらめることになりました。司法試験の試験科目のうち犯罪と刑罰を規定する「刑法」の勉強にどうしてもなじめなかったからです。民法や商法、それに憲法に関しては興味をひかれたのですが、刑法の勉強にはどうしても身が入りませんでした。こうして大学2年生も終わりを迎える時期に、あらためて自分の進路に悩んでいたところ、ゼミの先生から研究者の道を勧められました。その後、研究者という職業についての先生のお考えを伺っている中で、少しずつ研究者の途に進むという気持ちが固まっていきました。ただ、当時の私は「研究者になる」ことは決めていたのですが、「何を研究する」かについてはあやふやなままでした。そんな私に対して先生は、大学での就職のポストを得やすい民法を研究してはどうかとアドバイスしてくださいました。普通、研究者というと「何を研究するか」が先行すると思うのですが、枠にはまった思考にとらわれることなく、目標に対して最も合理的な手段を選択する重要さを先生には教えていただきました。

紆余曲折あって母校の中央大学を離れ、一橋大学の大学院修士課程に進学したのですが、先輩や同輩の優秀さ、意識の高さに衝撃を受けました。同じ様な分野を研究したとしても、とてもかなわない。そう思った時に考えたのが、それなら民法の中でもあまり興味を持たれていない分野を研究することでした。そうすれば自分でも人の後追いにならない研究ができるかもしれない。そう思っていた時に目を付けたのが、たまたま大学内での研究会で報告を担当した「組合契約」でした。大学時代に民法の授業で勉強した際には、これが労働組合や、生協のような協同組合とは異なる制度であるということは聞いていたのですが、実社会のどのような場面でこの契約が使われているのか想像もつきませんでした。民法の規定よれば、複数の人が集まって共同の事業を行うために使われる契約なのですが、そもそも人が集まって事業を継続的に行う場合、会社をはじめとする法人と呼ばれる組織を設立する方がいろいろな面において便利です。なぜ「組合契約」が必要なのか?法人を設立できない人の集まりが存在するのか?そのような疑問が研究のスタートとなりました。

こうした人の集まりを団体と呼ぶわけですが、私の研究の関心は団体に関する法制度に向かっていきます。もっとも、「営利事業」を営む団体である会社については多くの研究者が古くから研究を続けていますから、私の研究は自然と「非営利事業」を行う団体に向かっていきました。そして、まさにその研究の具体的な対象となったのが、1995年の阪神・淡路大震災などを契機として誕生した、ボランティア活動を行う市民団体でした。このようないわゆるボランティア団体に対しては、1995年当時は団体を法人として設立する道がほとんど開かれていませんでした。しかし、活動の重要性が広く認識されるようになるなかで、1998年に、社会貢献活動を行う民間の非営利団体に対して法人格を付与する「特定非営利活動促進法」、通称NPO法が議員立法により成立します。その後、日本は東日本大震災という再度の苦難を経験するなかで、非営利事業を行う団体を考えるにあたり「ボランティア活動」とのつながりは切っても切れないものになっていきます。

社会に重要な問題を提起した
ボランティア活動中の事故

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みなさんは「ボランティア」という言葉からどういった人たちや、その活動を思い浮かべますか? おそらく大学生の世代が子どもの頃に起きた東日本大震災、また地球温暖化で増加した自然災害時の復旧・復興支援を思い浮かべる人が多いかもしれません。また、2021年にコロナ禍の最中に開催された東京オリンピックでも多くのボランティアが活躍しました。それほど大規模のものではなくても、自分が住む地域の子どもやお年寄りに対するボランティア活動など実に多様な活動があります。

それでは、ボランティア活動の最中に、たとえば子どもやお年寄りにケガをさせてしまったり、不幸にも死に至らしめてしまったりした場合、ボランティアにどこまで責任を問うことができると思いますか?

このようなボランティアの「責任」が社会的にクローズアップされた裁判が、昭和50年代の初頭に2件ありました。いずれも善意の行為の結果として子どもが亡くなってしまった不幸なケースで、活動を行ったボランティアに刑事罰は課せられませんでしたが、民事裁判では賠償責任が認められました。

たとえボランティアであっても安全を確保する一定の責任があるという判断ですが、無償の奉仕に法的責任を問うのは酷ではないかとの見方もあるでしょう。ボランティアの立場に立つと確かにそう感じるかもしれません。しかし、亡くなった子どもの家族の立場ではどうでしょう?無償だからボランティアに全く責任がないと判断されたら、きっと割り切れない思いに苛まれるに違いありません。法律問題を考える際は、異なる立場にある人の「心」を見つめることも重要になります。

「ボランティア」の限界を知り、
質を高める

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これらの裁判によって、ボランティアは一定の損害賠償責任を負うが、ボランティア活動が無償であることからその責任は軽減されることが広く社会で理解されることになりました。しかし、事件の事実関係や判決文を詳しく検討すると、ボランティア活動における「責任」をそのように単純に理解することに対する疑問がわいてきます。

ボランティア活動という無償の行為に対して私が思うのは、ボランティアが責任を負える「限界」をきちんと定めておくべきだということです。たとえば大きな病院や福祉施設では多くのボランティアスタッフが働いていますが、人手不足で本来なら専門スタッフが担うべき業務をボランティアが肩代わりせざるを得ないことがあります。知人である北欧の社会福祉の研究者に言わせると、「日本はボランティアに頼りすぎ」だそうで、超高齢化が進む中、医療・社会福祉制度の矛盾をボランティアに背負わせている現状は、考え直す必要があるでしょう。やはり社会全体でボランティア活動の「限界」を定めることは必要不可欠になってくるでしょう。

一方でボランティア活動のすそ野が広がった現在、ボランティアの質向上のために主導していくリーダーの存在が重要になっているのではないかとも考えます。本来ならば社会構造や人間の心を熟知した40~50代がその役割を果たしてほしいところですが、彼らは管理職世代で仕事が忙しいため、なかなか難しいのが現実です。働き方改革が進んでこの世代のボランティア人口がもっと増えればいいのですが、ないものねだりをするのではなく、できることから一歩一歩始めることが重要でしょう。

ただ若い方たちに伝えたいのは、ボランティア活動をそれほど大げさに考えず、「困っている人に手を差し伸べる」という感覚で臨めばよいということです。この頃鉄道会社が実施している「声かけ・サポート」運動などは、身近にできるボランティア活動として理想的なものであると考えています。困っている人のために「一歩踏み出す勇気」。これこそがボランティア活動の本質であると考えています。

法律と社会の多様性とファンタジー

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ところで「法律を学ぶ」というと六法全書に書かれた無味乾燥に思える条文を暗記すること……と思われている方もいるでしょう。しかし、それは法律の学習のほんの一部にすぎません。

ドイツのある有名な法学者は、法律家に求められる素養として「理解力」「判断力」に加えて「想像力」を挙げています。すなわち、その法律が現実場面のどのような状況で使われるのかを思い描くイマジネーションです。実際に行われた裁判の判例を読むと「事実は小説より奇なり!」と思わざるを得ないケースも珍しくありません。世の中には実に様々な人がいて、様々な事件がおこります。価値観の対立を公平に見ることが求められる法曹や法学者にとって、人間の心の広がりや社会の多様性を知り、事件の構図を隅々まで思い描く想像力は必要不可欠なのだと思います。

私の場合、大学や大学院での勉強や研究活動に加え、趣味でトールキンの『指輪物語』をはじめとするファンタジー小説に熱中したことが、イマジネーションを鍛える一助になったかもしれません(ちなみに、トールキンは文献学・言語学の研究者でした)。特に高校から大学にかけて熱中した社会派ファンタジーと呼ばれるジャンルの作品を通して、同性愛や科学技術と倫理観、男女差別あるいは民族紛争といった多様な価値観に触れていきました。

本来、学問というものには、私がファンタジーを読んで感じたように、知らなかった世界を垣間見る「ワクワク」感があるべきではないでしょうか。法律という一見すると無味乾燥なルールにも、その背後には人々の暮らしがあり、様々な「思い」があります。もちろん、新たな世界に触れることが常に楽しい経験になるとは限りません。そこには、人の「悲しみ」や「苦しみ」も存在するからです。しかし、そういったことも含め、法学をはじめとする社会科学という学問は、社会に対して関心を抱く原動力となるのです。将来の社会を担う若い方たちに、社会を知ることの「ワクワク」感を感じてもらうことが、大学教員としての私の役割であると考えています。
#亜大の研究
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