パラアスリートとして、注目を集める秦由加子さん。彼女のこれまでの軌跡は起伏に満ちています。3歳で水泳を始め10歳までスイミングクラブに通っていた秦さんは、活発な少女時代を過ごしていましたが、13歳のときに骨肉腫を発症し、右足の大腿部を切断。その後、国際関係学部に入学し、念願だったアメリカ留学(AUAP)にも行きますが、青春時代は一度も運動することはありませんでした。その後、26歳のときに思い立って水泳を再開。会社員として働きながら大会への出場を重ね、2年で日本身体障がい者水泳連盟の強化指定選手となり、めきめきと頭角を現します。トライアスロンへの転向を機に、リオデジャネイロ2016パラリンピックに初出場を果たし、日本選手最高位となる6位の成績を残しました。現在は東京2020パラリンピックを見据え、キヤノンマーケティングジャパン・マーズフラッグ・ブリヂストンに所属し競技中心の生活を送る秦さんに、大学生活のことを振り返りながら、自身の活動について語っていただきました。
国際関係学部
2021.01 取材
大学で多様な考え方を持つ多くの友人に出会ったことが、
自分の視野を広げるきっかけとなりました。
留学先での貴重な経験は、今でも競技活動の礎となっています。
大学で多様な考え方を持つ
多くの友人に出会ったことが、
自分の視野を広げるきっかけとなりました。
留学先での貴重な経験は、
今でも競技活動の礎となっています。
キヤノンマーケティングジャパン株式会社
秦由加子
国際関係学部 国際関係学科 2003年度卒業
国際関係学部 国際関係学科を
選んだワケ
2001年当時はまだ、留学を必修のプログラムとしている大学は多くありませんでした。在学中に必ず留学したいと思っていたので、アメリカ留学(AUAP)が必修科目だった国際関係学科を目指しました。
秦さんの亜大ハイライト
旅先のアメリカで
解放感を味わい、憧れを抱く
旅先のアメリカで
解放感を味わい、憧れを抱く
What experiences helped you to grow?01
中学1年生の時に病気が原因で右足を切断せざるを得なかった秦さんは、自分の障がいを受け止めきれず、できるだけ足が不自由であることを悟られたくないという思いを抱えながら窮屈な日々を送っていました。その様子を見た秦さんの両親は彼女を海外旅行に連れ出します。行き先はアメリカ。それが彼女の転機となりました。
「アメリカでは周りの人たちの私に向ける眼差しが温かいと感じたんです。気軽に『何か困ってることはない?』と声をかけてくれたり、バスに乗ろうとしたら席を譲ってくれたり……自然な気遣いが印象的でした。障がいを隠さずに生活できる風土とその解放感に感動しました」
次第に秦さんは、アメリカで生活をしてみたいと思うように。そこで彼女はアメリカ留学(AUAP)が必修科目となる亜細亜大学の国際関係学科への進学を志望し、入学を果たします。
留学に向けた日々がスタート!
留学に向けた日々がスタート!
What experiences helped you to grow?02
1年生の授業で特に記憶に残っているのは、毎日朝一番に行われる必修科目の「フレッシュマン・イングリッシュ」です。通学が片道2時間かかる秦さんにとっては少しハードな1年でしたが、習慣的にネイティブ教員から実践的な英会話の指導を受けられたことは、英語運用能力のブラッシュアップになりました。秦さんは「自分からいろんな価値観を吸収しようと飛び込んでいける行動力のある友人たちと一緒に学べたことも私に良い影響を与えてくれた」と当時を振り返ります。
アメリカへの留学(AUAP)は1年生の後期・9月からの5ヶ月間。彼女はワシントン州東部チーニー市にあるイースタンワシントン大学に通うことになりました。
念願のアメリカ留学(AUAP)へ。
サンディエゴでホームステイも経験
念願のアメリカ留学(AUAP)へ。
サンディエゴでホームステイも経験
What experiences helped you to grow?03
イースタンワシントン大学には学科の友人も多数参加し、とにかく「楽しいことしかない」留学生活だったといいます。実はその留学生活の中で、彼女自身が変わる大きなきっかけがあったのだと教えてくれました。
「留学仲間と高校時代の修学旅行の話をしていたとき、私が不参加の理由とした『みんなと一緒にお風呂に入ることができない』という言葉に友人のひとりが『なんで?』と率直に聞いてきたんです。『みんなの前で着替えたりできないから』と答えたら、「私たちは気にしていないよ」と一言、言ってくれたんです。当時の私にとってはその一言がものすごく大きくて……救われましたね。コンプレックスというのは自分が生みだしているのだということに気づかされました」
休暇中には、サンディエゴで3週間のホームステイも体験。そのホストファミリーはこれまでも留学生を受け入れてきたそうなのですが、障がいを持つ人を迎えるのは初めての経験だったとか。そこで、彼女は印象深い出来事に遭遇しました。
「そのホストファミリーには8歳と6歳の兄弟がいたのですが、私を見た瞬間に一目散に駆け寄ってきて『かっこいい!』と義足に釘付けになりました。そして、ちょっと目を離したすきに義足を持ってばーっと逃げ出して、ふたりで遊んでいたんです(笑)。衝撃的でしたね。こうやって子どもたちが障がいについて自然に接するのはいいなと思いましたし、両親も『あなたはスペシャルだ。自分たちも勉強になる。来てくれてありがとう』と言ってくれました。私自身がつくっていた壁を向こうからどんどん壊してくれて嬉しかったです」
とにかく楽しかった就職活動。
障害があっても生き生きと働ける企業へ
とにかく楽しかった就職活動。
障害があっても生き生きと働ける企業へ
What experiences helped you to grow?04
留学前はアメリカでの就職を思い描いていた彼女ですが、留学経験を経て、あらためて日本で暮らすことの良さを感じるようになっていきます。
「明確な自己主張を必要とするアメリカ社会に身を置いたことで、たとえ言葉に出さなくても相手を慮る日本文化が自分には合っていると感じたんです」
大学3年生の秋、秦さんは日本での就職に舵を切り就活をスタートさせます。観光業界や住宅業界など、興味のある業界を積極的に見て回った秦さんにとって就職活動は楽しいものだったそうです。
「企業の面接で積極的に質問して社員の方と話ができるのは有意義でした。パンフレット上ではどの企業も理想的に見えますが、実情を聞き、いろいろな大人が、そして会社があるのだなと視野が広がりました」
そのなかで最終的に彼女が就職先として選んだのは、キヤノンマーケティングジャパン(株)でした。
「大学のキャリアセンターで紹介してもらったOBの方と大学でお会いして、職場や業務のことだけでなく、会社の障がい者雇用への理解についても話を聞きました。その方も足が不自由な方だったのですが、生き生きと働かれている様子が伝わってきて、この会社に就職をしたいと思いました」
卒業後、彼女は順調に社会人生活をスタートさせます。
水泳に再トライしたことで
アスリート人生が開花。
トライアスロンに取り組む日々
水泳に再トライしたことで
アスリート人生が開花。
トライアスロンに取り組む日々
What experiences helped you to grow?05
入社後、配属先で自身の業務をこなし充実した社会人生活を送っていた秦さんの生活は、水泳を再開したことで劇的な変化を遂げていきます。
26歳のとき、地元の障がい者水泳チームへの参加募集を偶然発見し、団体を立ち上げた男性に会いに行きます。
「その方が私と同じ障がいを抱えながらも意欲的に活動されている姿を目の当たりにして刺激を受けました。チームメイトたちもバイタリティにあふれていて、こんな風に生きていきたいと思える、お手本となるような方々ばかりでした」
チームの一員として国内の障がい者水泳大会で実績を重ね、より速いタイムを狙うようになった秦さん。競技選手としての活動を視野に入れ、指導者となるコーチの下でマンツーマンによる練習もスタートさせました。
「早朝練習から出勤、就業後はプールに直行して練習再開、という本格的なアスリート生活が始まりました。努力の甲斐あって2010年には日本強化指定選手となり、2年後に開催されるロンドン2012パラリンピックを目指していました。残念ながら大会への出場は叶いませんでしたが、コーチから『他人と同じことをやっているうちは勝てない』と叩き込まれたことは本当にありがたい経験でした」
秦さんにさらなる転機が訪れます。早朝練習に通っていたスイミングスクールで一緒に泳いでいたトライアスリートたちから「トライアスロン」への転向を誘われたのです。のちに秦さんの目指す指標ともなる、同じ片大腿切断のアメリカ出身のサラ・レイナートセン選手の存在を知り、トライアスロンへの転向を決意します。
パラリンピアンとして
パラリンピアンとして
What experiences helped you to grow?06
幸運にも次の大会となるリオデジャネイロ2016パラリンピックは、パラトライアスロンが正式種目に認定された大会でもありました。まずはラン用義足を付けて走ることからスタートした秦さん。最初は5kmも走れず足が血だらけになったそうですが、だんだんと踏ん張ることができるようになり、徐々に走る筋肉をつけていきます。そして見事、秦さんは大腿切断の日本人選手として初出場を果たし、6位入賞の成績を収めました。
鉄人レースとも表現されるトライアスロンは、一般的に辛いスポーツという印象が強いかもしれません。しかし秦さんは「広大な自然の中を駆け巡ることのできるスポーツで、しかも同時に3種目も楽しめる競技なんです。さらに言うと障がい者も健常者も同じ大会に出場し、同じコースで一緒に競うことができるのも魅力ですね」とトライアスロンへの思いを熱く語ってくれました。
勤務する会社からも功績を認められ、今では全面的にアスリートとしての活動もバックアップしてもらえることになった秦さん。会社が全社を挙げて壮行会を開催したり、現地スタッフがレースの応援に駆けつけてくれることもあるそうです。「同僚の温かい支援は本当にありがたくて。スポーツにしても仕事にしても自己完結できるものはないのだと実感しました」。
最後にさまざまな事に挑戦し全力で自らの道を築いてきた秦さんに、後輩に向けて伝えたいことを聞いてみました。
「人生は自分次第でいつでも変えられる、ということです。周りを変えることはできなくても、自分自身は考え方次第で変えることができるんです。これに気づかせてくれたのは、私とは異なる尺度で物事を捉え生きている人たちとのたくさんの出会いでした。いろんな人と出会い、いろんなことにチャレンジして、自分を磨いていってください」
秦さんは今、東京2020パラリンピックへの出場を見据え、練習に励む日々を送っています。
Q今後の目標を教えてください。
2021年3月現在、東京2020パラリンピックに向けて、今は自分にできることをコツコツと、日々練習することに集中しています。悔いなく2021年のこの時期を過ごし、生涯にわたってトライアスロンに取り組んでいきたいと思っています。
Q受験生へのメッセージを
お願いします。
トライアスロン大会は世界各地で行われます。全世界から選手が集まるなかで物怖じせずに過ごすことができるのは学生時代の留学経験があってのものです。亜細亜大学は海外からの留学生も多く、幅広い分野をグローバルな視点で学べる環境が整っています。「世界は広い」ということを学びつつ、自分がやりたいと思うことに全力で挑戦する学生生活を過ごしてください。