
高校時代のイギリスへの短期留学をきっかけに英語に興味を抱いた池山君は、当初、英文科のある大学への進学を考えていました。浪人中、多文化コミュニケーション学科開設の話を家族から聞き、可能性を感じて受験。一期生としての入学を果たします。
「お前が学びたいのは、こういう学科じゃないのか」という父からのひと言がきっかけで受験することにしました。今思えば、自分が学びたい内容を、自分以上に親がわかってくれていた気がします。
入学後、最初に池山君が経験したのは、新入生研修「出会いの広場」です。多文化コミュニケーション学科は国際関係学科と合同で、栃木県鬼怒川で2泊3日の研修を行います。初めての授業履修や生活など、新入生が安心して学生生活をスタートできるよう、教職員と先輩学生がサポートしてくれるプログラムです。
「大学はもっと個人単位で動くイメージだったのですが、亜細亜大学はちょっと違うなと感じました。一期生ということもあったのかもしれませんが、熱い先生ばかりで。みんなで一緒に頑張ろうという感じが伝わってきました」
多文化コミュニケーション学科では、1年生のうちから必修で「地域言語」を学ぶことになっています。選べる言語は中国語、韓国語、インドネシア語、ヒンディー語、アラビア語、スペイン語。いずれも初級、中級、上級と、3年間深く学べるようになっており、池山君は、この中から「インドネシア語」を選択し、上級まで学びました。
授業はおもしろく、並行してインドネシア語技能検定試験にもトライ。日常の身近なインドネシア語を理解し、使用できるレベルとされるD級を取得しました。
「就職活動では、TOEICⓇと同時にインドネシア語の技能検定を持っているということに、いろんな企業の方が興味を持ってくださって。就活のちょっとした武器になりました」
1年生の2月からは、AUAPでセントラルワシントン大学での5ヶ月間の留学に参加。池山君にとって、この留学は英語の習得はもちろん、バスケットボールを通して国境を越えたコミュニケーションを図る、貴重な機会にもなりました。 「高校時代から趣味でバスケットボールをやっています。部活では長くバレーボールをやっていたのですが、バスケットボールはバレーボール以上に難しく、歯が立ちませんでした。それが悔しくて、自宅近くの体育館で練習を始めて、もうかれこれ8年になります。バスケを通じて幅広い世代の人たちとコミュニケーションを取ることで、地元の人脈もできました。それと同じ感覚で、AUAPでもバスケを通じて、現地の人たちとコミュニケーションを取ってみたかったんです」
セントラルワシントン大学のバスケットボールコートでは、バスケの練習に日本人留学生ひとりで飛び入り参加。英語が多少不自由でもバスケを通じてコミュニケーションを取ることに手応えを感じました。
「本場アメリカで存分にバスケットボールを体験できたのは得難い経験でした。また、バスケを通じて現地の人たちと会話を交わすことによって英会話能力も高まり、大きな自信につながったのもよかったと思います」
池山君は学内の活動にも積極的に参加。アメリカから帰国してからの1年間は、自身の留学経験を生かし、これから留学へ行く後輩のサポートに力を注ぎました。AUAPに行く前の後輩たちは、留学についての不安がたくさん。それを一つずつ払拭し、不安を期待に変えていく「AUAPインターン」に参加し、教員や国際交流課の職員と一緒になって留学をサポートしました。 「実際に行った先輩学生の生の声を聞いて安心してくれることに手応えを感じましたね」
また、“国際関係学部をもっと活発に、ユニークにする”という理念のもと、10年以上にわたって学生が主体となり運営している「IR Back-Up」では、池山君は2年次に副委員長、3年次に委員長をつとめました。
「長く活動してきた団体ではありましたが、IR Back-Upの役割を改めて見直し、課題を見つけ克服するよう努めました。後輩たちの協力もあって、改革すべきところは変えることができたと思います。今後も団体がどんどん良い方向に変わっていければと思いますね」
幼いころから世界中を飛び回る仕事に憧れを抱いていた池山君。就職活動中に出会った企業のグローバルな視点に共感し、内定を獲得しました。
内定獲得後、池山君は学生の就職活動をサポートする「学生就職委員会(SCC4)」の活動を開始しました。これから就職活動を始める後輩のため、自身の就職活動の経験を基に、後輩の不安や疑問に対し「学生キャリアサポーター」として親身になって答えています。
「変動の激しい就活にもまれてきた経験を通して、不安を感じている後輩に役立つことがあればと参加しました。自分を含めて全員で6名の内定者がメンバーとなり、毎日誰かがキャリアセンターで後輩からの就職活動の相談を受けたり、就職活動関連のイベントを手伝ったりしています」
4年間を通して学内の活動に積極的に取り組んできた池山君ですが、実はそこには理由がありました。
「つらい浪人時代を経験しなければやっていなかったかもしれません。浪人中、“自分の将来はどうなるのか”と悶々と考える時間が長かったので……あの時間が4年間の行動に繋がり、今の自分を作ってくれたと思います」
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、海外のお客様にそれぞれのお客様に合う“おもてなし”をして差し上げたい。日本に居ても国境を越えた仕事がしたいと思っています。
多文化コミュニケーション学科の先生は、いい先生ばかり。高校時代にイメージしていた「大学の先生」のイメージとは違います。親身に話を聞いてくれて、自分は先生に恵まれているという実感があります。僕にとって、人との縁が人生の軸。もし興味があれば、大学を訪れてみてください。