
起業家への思いを秘めた月田さんは、大学時代、持ち前のガッツでさまざまなことに挑戦してきました。資金ほぼゼロで起業した「スキー板の修復業」。社員と同等の評価を得られた、居酒屋でのアルバイト。ハンドボール部のキャプテンとしては、リーグ戦二期連続昇格を果たす活躍を見せます。月田さんの精力的な大学時代を振り返ってみましょう。
最初は文系に行くか理系に行くかを迷っていました。そんな時に、高校の先生のアドバイスで「文系に行くなら東京に行きなさい。理系ならどこでもいいでしょう」と言われたんです。最終的には文系を選び経営学科に入ったわけですが、今思えば、どこかで「社長になりたい」という気持ちがあったのだと思います。
福島県南会津郡南会津町出身の月田さんは、大学入学を機に上京。入学式のその日、月田さんはあるひらめきを得ます。それは、「会社経営をしてみたい」という率直な思いでした。
「今でも強く記憶に残っているんですが、入学式の日に前を歩いていた学生がたまたま起業についての本を持っていたんです。その表紙を見て、『そうか、起業できるんだ。これだ!』と思ったんですよね」。
小さな偶然が生み出した、起業への思い。月田さんはずっとその思いを温め続け、大学1年の1月には起業に踏み切ります。
「起業といってもお金はないですから、何ができるかと模索していました。そんな時、アルバイト先のお寿司屋さんで、暖簾をしまうために外へ出た瞬間、スキーキャリアを積んだ車が目の前を通り過ぎていったんですね。その時に、『スキー板のオーバーホールをする仕事』で起業しようと思いついたんです」。
雪国で生まれ育った月田さんは、中学時代、スキー部に所属していたこともあり、スキー板の扱いには慣れていました。「思い立ったらすぐ実行」ということで、チラシを刷って、夜中に配布。精力的に告知しましたが、当時はまだ携帯電話もインターネットもない時代。授業のある昼間は依頼の電話を受けることもできなかったため受注が伸びず、友人からの依頼だけで終わってしまったといいます。
最初の起業で失敗しても、月田さんは全くめげませんでした。
「貯金も底をついたので、とりあえずご飯は食べられるようにとまかない付きのアルバイトをはじめました。それが、その地域で一番繁盛している居酒屋だったんです。一度起業した経験もあるので仕事を教えてもらいながらお金がもらえるなんて、こんなにありがたいことはないなという感覚で楽しかったですね」。
以降、大学時代はずっとその居酒屋でアルバイトを続け、最終的には社員と変わらない働きをするまでに成長した月田さん。そこで出会った社長の存在も、月田さんの将来に大きな影響を与えました。
「今でも、時々その社長に会いに行きます。ひとりの人間としても尊敬できる経営者です。チームの一人ひとりに、適切に声をかけて、最善のチームづくりができる、そんな方にアルバイト先で出会えたのは、本当にラッキーでした」。
起業やアルバイトに熱中していた月田さんですが、授業や部活もおろそかにせず積極的に取り組んでいました。いちばん記憶に残っている授業は、「フレッシュマン・イングリッシュ」です。この授業のおかげで、大学2年時には初めての海外旅行をひとりで敢行することができたといいます。
「『フレッシュマン・イングリッシュ』の授業を受けていなければ、おそらくアメリカに行こうとも思わなかったですね。3週間かけてアメリカを横断することができたのは、本当に得がたい経験でした」。
部活では、ハンドボール部に所属。3年次にはキャプテンに就任することになりました。そこで月田さんはチームをひとつの会社と見立て、「キャプテン=会社の社長」というユニークな発想で取り組んでいきます。
「『いかに勝てるチームにするか』というテーマを掲げ、とことんこだわって戦略を立てていきました。強いチームを作らないと会社は倒産しますから(笑)。リーダーとしてどうすべきかは誰も教えてくれないので、アルバイト先の社長をお手本にして、人への接し方や動き方など多くのことを学ばせてもらいました」。
その結果、なんとチームはリーグ戦二期連続昇格を果たすという快挙を成し遂げました。会社経営の発想を部活に応用し成功したことで、起業への再挑戦の思いはさらにふくらんでいきました。
4年生の頃には、将来のイメージとして「飲食業で社長をやりたい」という思いが固まっていた月田さん。就職先も、飲食チェーンを展開する食品メーカーの内定をもらいました。
「就職した会社は名のある食品メーカーでしたし、仕事もうまくいっていたのですが、やはり、僕の目的は会社員になることではなかったので退職を決意しました。やめる時には若くして出世された役員の方まで出てきて『新業態の居酒屋をやるから、店長にしてやる』と引き止められましたが、『店長に興味はないんです』と生意気にも答えまして…。実は、当時その会社で人事部長だった方と、昨年再会する機会があり、お酒を一緒に飲みました。『あの時はお世話になりました』と言ったら、『あの時の月田か』と覚えていてくださって。嬉しかったですね」。
その後、大学時代のアルバイト先だった居酒屋に就職し、とにかく開業資金を貯めるべくがむしゃらに働いて、晴れて29歳で起業。現在は、複数の飲食店を経営する経営者として、後進を育成する立場となっています。
「自分の活動の原点には、『社会に貢献したい』という思いがあります。飲食業もその一環ですし、本業とは別にアフリカのザンビアに学校を設立する準備を進めたりもしています。そういった活動も、すべて人のつながりから。まだまだやりたいことがたくさんありますが、人との縁を大切に、これからも頑張っていきたいと思います。」
人との出会いがすべてだと思います。大学時代に出会った人たちとは今でも付き合いがあります。中でも、僕にとってハンドボール部は特別な存在です。ハンドボールはチームプレイ。仕事もチームで行うものですから、チーム作りという面でも非常に貴重な体験をしました。少し前にザンビアで会社を興しましたが、そこにはハンドボール部の後輩がキーマンとして入っています。部活で培った体力も、大きな自信につながったと感じています。
経営者が集まる勉強会では、亜大出身の経営者にも数多く出会います。彼らはみなコミュニケーションを取るのがうまく、優秀な経営者だと感じます。亜細亜大学は、社会に出てから必要となることが学べる大学です。「自助協力」という亜大の建学の精神は、私が社会に出てから今までの、数多くの場面で意思決定の判断の基準にしています。勉学もサークル活動も部活動も、とにかくベストを尽くして情熱を持って充実した大学生活を送ってほしい。チャレンジ精神を持って、変化の激しいこの時代を乗り切るエネルギーを培ってほしいと思います。